業界独り言 VOL121 HugeModelからSmallModelへ 発行2001/8/30

携帯電話は、この冬モデルには10MBを越す事態に突入しそうだ。私のVisorよりも大きなフラッシュサイズである。無論VisorのCPUよりも携帯電話のそれは高速であり、綺麗なカラー液晶がついていたりするし、当然無線部もついている。イヤホンも繋がらないPDAと比べると比較のしようがないほどの格差である。しかし、私がちょっと欲しいと思うソフトを捜してダウンロードするというところで考えるとPDAは良いかも。

さて、携帯用のプラットホームを開発しているメーカーは積極的か受身かで大きな差を生んできた。積極的なメーカーは通信キャリアと組んで共同開発を進めてきた上で、その仕様書の中に彼らのエッセンスをちりばめているのである。4MB足らずのサイズに高機能電話機が出来上がるのには理由があるのだ。受身で開発しているメーカーは当然8MBを越すサイズになっても致し方ないと判断するのだ。

サイズ重視で、compactサイズのフットプリントを考えてシステマティックに考えられる人材というのは稀有なほどCDMAというキーワードのつく携帯電話機は巨大なシステムと化しているようだ。確かに8ビットを越えるような技術者を集めてテストや開発をしているのであればコミュニケーションのボリュームだけで大変なものになってしまう。マスコミを通じてアピールしてきた3Gの方向性としてはEPOCなどに代表されるものを目標にしているようだ。

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業界独り言 VOL120 Y君への手紙 発行2001/8/23

Y君は、自分自身で会社を興してソフトハウスをやっている優秀な技術屋である。色々な通信システムも手掛けたし最近流行りの2.4Gも手掛けてきていた。英語に臆することも無く海外にデバッグに赴いたりもしていた。携帯電話のシステムがコンピュータ化して肥大化する流れの中でインドの象の寓話ではないにしても全体が見えない技術屋を数百人集めて開発から試験までを実践しているのとでは隔世の感を彼の仕事ぶりには感じる。

元々は大手通信機メーカーの直営ソフト会社に就職した彼とは、一緒に仕事をした事も彼の黎明期にはあった。だがソフト会社特有の二次外注への発注や見積もりといった運用を突きつけられる中でソフトウエアの開発に仕事を見出してきた彼には、US向けの自動車電話の開発などを進めてきた過程などからも自分の所属している会社と自身がミスマッチしていると判断した結果会社を興して一匹狼として生きる路を選択したのだった。

アセンブラで開発してもバグもなく安定なシステム設計とモジュール開発が行えるのは、彼いわくインタフェースをきっちり設計しているから当然ですよといわんがばかりなのだが。そうした当たり前のことをシステム開発の経験値として学ぶ機会を与えあるいは共有することよりも日常の溢れる開発件名の消化のために見積もり発注といった事由に忙殺されてしまう事態を選択させてしまうのは正しいフィードバックループとはいえない。

日本の会社では、優秀な奴ほど忙しくなってしまうような気がしていた。わからない奴には見積もりが任せられないということなのかも知れないのだが・・・。判っている奴が、判っている外注を前提として見積もりを行い開発を任せて達成していくというビジネススタイルがうまく回ることを祈念してしまうのは神道の国だからだろうか。相手を信用せずに疑い、出来上がりの影響がないようにアイソレートする仕方は米欧の方法だったりもする。

Y君は、若手の学生を使ってソフト開発を進めていく内に、出来る学生やら、途中で放り出してしまう学生などの見極めもしつつのビジネススタイルで欧米風の感覚に近いものを自身のノウハウとして身に付けていき、そうした担当者同士のモジュール開発を円滑に進めるためのインタフェース設計に、より注力をしていったらしい。開発効率という観点で最高の成果が得られた事もあるだろうし、苦労した場合もあっただろう。

インタフェースを追っかけていくことでシステム全体の動作を掌握してシステムコンサルティング能力も自身として高めていくことが出来たのは彼の大きな成果であり評価点でもある。QUAD社でサポートエンジニアとして仕事をしつつ感じることは、実際のお客様のサポートをしている実態としての作業は直接設計に携わっている技術者と全体を見渡して的確な回答を与えられるコンサルティング能力が求められる職責である。設計経験の無いものは役に立たない。

技術者のエイジングという観点からみても、様々な開発設計に取組んできた総括としてコンサルティングをベースにして更に最先端の技術をシステマティックに追求していくという仕事なのだが、一般的なサポート窓口と呼ばれる非生産的な印象から受けるネガティブな印象が中々払拭出来ないのがヘッドハンティングなども含めた実情なのかも知れない。開発に携わりたいというのならばメーカーだろう。ただしCDMAなどの根幹技術に携われるメーカーは益々少なくなってしまっている。上位層に国内の戦場は移ってしまっているのだ。

システム同期を取らずに実現を図ろうとしてきたあるシステムが、アプリケーションの観点から同期をすべきかどうか模索を始めたらしい。動機は不純なのだが・・・。最近では社会貢献を打ち出して環境に優しい会社という企業広告をうっているキャリアなのだが、システム同期が取れていない端末に要求される処理の難しさと消費電力の量は矛盾に満ちている。自己矛盾に陥り始めた結果、上位のアプリケーションから見直しが始まろうとしいるのであれば世紀末の決断は何だったのだろうか。

技術開発が政治的な思惑の中で偏向されてしまうのはいたし方ない事態であり、ただしそうした流れを理解できる技術者が育成できているのかどうかという点が企業としての次の戦略の中で重要なポイントだと思う。戦略の是正をする段階になって支える技術者がOJTというキーワードで括られるメーカーとしての地力の蓄積になっていれば良いのだ。こうしたビジネスサイクルが回っていたのではないか思い返すのはY君らと仕事をしていた時代だったのだろうか。

「当たり前のことが判る技術屋がいないこの事態で日本はどうなるの?」と咆える私の尊敬する大先生の域までに達しては居ないのだが、実際問題として普通のこととしてCが判り、システムが判り、コンサルティングが出来るような技術者を探し出せない実態はなんなのだろうか。悪評高いユトリ教育のせいなのかどうかは知れないが、わかる技術屋を求めていくと昭和の卒業を境に難しくなっているような気がする。スタックとヒープの説明がスムーズに出来る人とクラスの利用しか出来ない人に分かれてしまう。

業界独り言 VOL119 夏休みの終わりに 発行2001/8/20

携帯電話にJavaやC++で書かれたソフトウェアが提供される時代になろうとしている。初期のパソコンと違うのは機種の相違を出来るだけなくそうとしているとしていることである。もともとプロセッサが多岐にわたっている通信キャリアと、プロセッサが特定メーカーに極端に偏っている通信キャリアでの取り組みではあるが、プラットホームとしての考え方でJavaに向かうものや、偏っていることを応用してC++に向かうものに分かれている。

ソフトウェアを移植していく側とプラットホームを構築する側との双方がメジャーを目指そうとすることが、そこには現れてくる。特定CPUに偏っていることをベースにしているとPCで言うところのx86アーキテクチャのように捉えることもできる。溢れ返った様々なソフトウェアを組み込むことが必要とされる機器メーカーにとって似て非なるライブラリを各々が抱え込んだ形のアプリケーションを集約すると儲かるのはFlashベンダーになってしまう。

機器メーカーと通信キャリアの歪んだ未来の見せ方により尻すぼんでしまった形の現在では、フラッシュベンダーも当てが外れてコスト的には更に買い叩かれてしまうのかも知れない。APIを整備していないプラットホームあるいは既に完成されたソフトウェアの集約のみを目指した成果としてはコスト高を生み出してしまう。APIを企画した人たちは、そのAPIで実際にアプリケーション構築をしてみるのが効率的な姿だと思うのだが・・・。

Linuxなどの世界で魅力的なアプリケーションを少し纏めてみた結果集積されたAPIをベースにしてデスクトップのAPIを纏めていったGNOMEのような進め方は実質的に良いものになっていくのかも知れない。まあAPIを企画している人たちが自分達の仕事を最小限の作業に抑えようと考えるのか、ユーザーにとって最大限の効果を得るように考えるのかという観点の違いで大きく内容が異なってしまうのだろう。

いま、プラットホームを整備していく人たちにとってはアプリケーションベンダーと再構築をして次世代商品としての魅力の中にコストダウンというものも織り込んでいこうとしている。通信時間と端末コストと色々な制限下で行われている携帯電話の上のソフトウェア競走というものは、大変ロジカルな世界で挑戦のしがいがある分野だと思うのだが機器メーカーで感じる時間は少ないのかも知れない。

機器メーカーは、競合メーカーとの共同戦線に入り拡大してきた路線からの変更を余儀なくされている。様々な端末やサービスを期待しているユーザーとの格差は広がるばかりだ。離陸しない次世代電話と新製品の閉塞感のある現状の携帯のながれをブレークする新たな風が欲しいところだ。通信キャリアと組む限りにおいては、中々強い戦略が打ち出せないのが閉塞感の源流ともいえる。通信キャリアの買取すら辞さない外圧を求めているのは顧客自身なのかも知れない。

絵空事よりも、日常に使えるサービスをコスト安でサービスして欲しいのはブロードバンドだけではない。携帯の通信キャリア自身が、機器メーカー以上に大企業病に蝕まれているのが挑戦できない体質なのかもしれない。日の丸通信キャリアから迎え入れた経営トップの方が、競争相手として日の丸弁当からランチボックスに切り替えられないのは自明の理なのかもしれない。

政治的な戦略兵器と技術的な戦略兵器とをあわせて持ち出していかなければ、携帯デフレの夏休みから新学期に向けて溌剌とした仕事に入れない技術屋が増えてしまうのかも知れない。キビキビと動作するライブラリやアーキテクチャを抑えた上で様々なサービスを提供していけるように新たなチップやアーキテクチャ整備の流れに香辛料としてのバランスをつけて低消費電力でサクサクというフレーズを目指している。

モデム屋なのかシステムアーキテクトなのかという観点でいえば、QUAD社が目指しているのはアーキテクトであり必要なインテグレーションを果たしたチップセットの提供を志向している。ワイヤレスPDAというような世界で言えばイネーブルカンパニーとしてのスタンスであり開発してきたプロトコルスタックもパッケージとするビジネスなども進めている。偏ったチップの世界ではあるがソースコード共有をしつつアーキテクチャの壁を越えようと挑戦するメーカーも現れるかも知れない。

プラットホームを整備する・・・ということの重みをどれだけ理解しているのかは実際に開発に従事したメーカーでなければ理解しえないのかも知れない。そうした開発に投じてきたリソース費用を理解したうえでパッケージの価格に思いをはせるメーカーと、無理解な中で土木工事に殉じようとしているメーカーとの間には隔世の感がある。そのツケは最近の携帯回収の不具合で露見してしまった。機器メーカー同士が共同戦線を張る時代なのだろうか。

日の丸キャリア向けに、iMODEのプラットホームの開発整備をすすめてきたリーダーが、チャレンジしているのは新たなプラットホーム整備を全く異なるスタンスで始めている。チップやプロトコルのノウハウとパテントによる大きな意味でのプラットホームの中での上位層のプラットホーム整備が彼の戦場であり、アプリベンダーの自立という大きな取り組みでもある。

提供できるチップで少しでも性能を改善向上するアイデアを模索するのもそうしたプラットホーム整備の立場の中の低位層での取り組みである。システム的な捉え方をローカライズした上で為しうるオプションを考えていくのは日本オフィスの仕事でもある。DSPとの分担やスクラッチパッド領域の設定などもあるだろう。液晶ベンダーと組んでカラー液晶での画面スループットを模索している仲間もいる。中々楽しい職場だ。

業界独り言 VOL118 展開は急にやってくる 発行2001/8/9

神宮外苑の夜景に、花火が打ちあがった。中森明菜のライブもあるらしい。そうした都心の花火大会を高層階から見下ろすというスタイルである。今日は家族や友人も呼んで祝杯を交わしつつのパーティだ。オフィスの明かりを消して、夜景を鑑賞しているわけだ。赤坂のオフィスは小さなビルであったことも手伝い、神宮外苑の花火については知らなかったのだが・・・。

花火の話がメールのやり取りで話題として取り上げられて、トップの方の反応について食い下がった若手の突っ込みがあった。結果として急遽バーティとなったようだ。やり取りをしていた時期には丁度訪米していたことがあり仔細についてはよく知らないのだ。急展開を知った結果、帰国途上のお土産としてナッツのパックを買い込んでおいた。

サンディエゴからサンフランシスコへのフライトは時として霧のために、よく遅れる為に接続の時間的余裕は大切なのだが今回のそれは一時間しかなかったので危うくコネクトしそこないそうになった。サンディエゴのカウンターで遅れていた前の便への変更が叶い荷物を預けて飛び込みサンフランシスコでのステイ延長はせずに済んでいたのだったが・・・。

成田に着いてみると荷物は間に合わなかったらしくスーツケースは翌日の到着となった。会社へのお土産のクッキーやナッツは機材で持ち込んでいたCD-RなどのPC周辺機器のバッグと一緒に会社へ発送依頼をしてサンフランシスコで買い込んだベーグルと背中のザックのみで自宅に向かい翌日は、お土産と荷物が私の代わりに届けられて、自身は翌日月曜は休暇をとった。

月曜日は、メールの整理などを行い、翌日の花火大会への案内を贈った知り合いたちとの連絡を取り合っていた。携帯端末のソフトウェアを検査システムを開発している者や司法試験を目指す者、某メーカーの技術者などなど結局都合が付いたのは四名ほどであったが、二人は時間までには到着しそうで、一人は遅くになりそうだった。

携帯端末のソフトウェア品質については最近のホットな話題でもあり、QUAD社としても関心を持たざるを得ないテーマでもあった。開発している友人の状況の話を聞けないかと打診したら、社長と共に説明に伺うという展開になっていた。急な話ではあったが、弊社の社長の都合もつきそうなので紹介しつつ話を聞くことになった。

液晶表示ユニットとのIFをハッキングする装置をベースにしてUI回りのソフトウェアの動作を機能検証するというのが彼らのオリジナルであり携帯電話の二大メーカーとのシステムハウスとの接点を活かして成約が進んでいるらしい。最近のi-MODEではテスト項目数が10万件以上にもなるらしくテスト工数は膨大らしい、またテストを人間が行っているメーカーなどではテスト操作の精度にも問題があるわしい。

実際にQUAD社として取組むべきテーマでは無いにしても、電話機としてのリモート操作のフィーチャーなどは通信キャリアが仕様として提示しておけば自動化が出来そうな感触にも繋がりそうだ。アプリケーションを別チャンネルで配布するという計画などもあるためにメーカーとキャリアの双方が対象になるのかもしれない。テストで品質を確認するというのは最後の手段ではあるのだが・・・。

プレゼンが終わり、パーティの時間となった。用意された会場は広い会議室と花火が見えるサイドのオフィスである。麦酒や日本酒が、花火やつまみを肴に空いていった。冷房の効いた部屋で音の鑑賞までは出来ないものの打ちあがる様々な花火の輪を堪能しつつ歓談の輪も広がっていた。仕事に思い悩む友人もパーッと花火をみつつのオフィス風景を見て転機を考えてもいるようだった。

大きく広がりつつあるビジネスを確実にしていく為に、仲間を増やすことは必要で昨今の製造メーカーでの早期退職奨励制度などの時期とあわせて急展開していくと考えて色々なヘッドハンターに依頼をしているもののQUAD社で必要とする技術者というカテゴリーへの応募は極めて少ない。不遇な状況の知己が居れば積極的に声はかけているつもりなのだが、急展開に乗ってくるタイプの欲しい技術屋は確かに少ない。

ビジネスに生きているものとして、周囲に起こっている変化に対応していくのは常である。知り合いのクラブのママは急展開として、その店のオーナーになった。チャンスを見事にキャッチアップした結果である。チャンスを掴むものとして急展開に対応できるのかどうかという点が大きく必要とされるのである。また、人生の常として不幸などによる急展開から今度は店を手放して家業を手伝うことになったというのだが、始まりが急展開であったことを思い返して、終わりの急展開にも納得がいった。

閉店が近づいた、そんな店で急展開の踏ん切りに悩む技術者と話し込んでいた。変わって行く周囲の状況の中で変わらぬ仕事の仕組みに悩み解決を模索してきた彼ではあったが、会社の経営悪化による経営トップの警告奮起にも関わらず変化の無い環境に辟易して、今一度自分のやってきた仕事の見直しと共に自分の人生での取り組みについて考え直す夏休みを迎えようとしていた。「君は何をしたいのか」それが私からのエールであり、閉める店に残されたボトルの中を気にするか、別の店で新たなボトルを求めるのかは、その人の決断である。

業界独り言 VOL117 新世紀にあった開発の考え方

期待に満ちた21世紀に入ったのに、この閉塞感はなんなのだろうか。何を間違えて世紀を越えてしまったのだろうか。世の中に物は溢れているのに、開発すれど楽にならず厳しさだけが増していく。生産したものの価値が低いのに対価を高く要求してしまうことによるインフレーションだったのだろうか。最近では、給与を抑える形にした新しい形のデフレーションが進んでいるようだ。

ユーザーの価値観も多様化してきている。必要なこととそうでないことに対しての感覚は鋭くなっている。もらえる給与のなかでやりくりしていくのだからいたしかたないだろう。端末の競走が、キャリア同士の顧客不在の状況が続いている。わざわざ携帯でゲームをしたいという顧客に実際にこの機能を組み込むことで発生する費用はいくらで結果として通信費用を押し上げていますよとかハッキリと説明できるキャリアはどこにもない。

これは、どこかのキャリアが破綻するまで続くの死の行軍ともいえる。キャリアが死ぬまでには、多数の殉職者が出てしまうのは過去の戦争の歴史などを紐解いてみても明らかである。ましてやキャリアが破綻すれば、利用している顧客にそのまま跳ね返ってくるのは対岸の電力事情をみても明らかだ。キャリアが端末を販売するという構図そのものが間違っているのではないだろうか。

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サンディエゴ通信 VOL7 米国で気になること

発行2001/8/3

夏休みも始まり、朝夕の電車は少し空いて来たこの頃である。展示会とお客様を招いてのトレーニングなどが重なり多忙な中に急遽の如く本社への出張指令が下った。前回の轍を踏まぬよう、ノースウェストに戻しての航空券手配をお願いしたのはいうまでもない。 日本航空でのビジネスクラスで、いやなのは日本人が多くてビジネスクラスでお行儀の悪い方が目に付くからである。それだけリラックスしているのかもしれないのだがリラックスしたいの私も同じでお行儀の悪いひととは居たくないのである。 日曜日の午後の出発であり、のんびりと横浜まで出掛けると成田エキスプレスは満席で立ち席乗車しかないとのこと。成田エキスプレス以外には快速でグリーンという選択のほうが美味しかったかも知れないが、気がせいて立ち席乗車で乗り込んだ。 最近の特急では禁煙が当たり前だが、連結部は喫煙可なのであり大学生と思しき男子が座り込んで吸っているのは致し方ないことだった。東京からは立ち席乗車で米国人が乗り込んできてラゲージコーナに陣取って座ってしまった。彼らは煙草を吸わないのだが自動ドアが開いてしまって連結部の若者のたばこの煙は容赦なく座席にも充たされていった。 飲み物を片手に歓談している彼らに外交交渉に臨むものは出てこなかった。この中の女性から第二ターミナルは次なのかどうかを聞いてきた。次の駅ですよと答えると一人の男性が親指を立てた。彼だけが違う航空会社で帰るらしいのだった。同じく東京からは東洋系の若い女学生と思しきチャーミングレディが乗り込んできて、連結仲間に参加していたが、彼女は何かそわそわしていたようで、私が外交交渉に応じたのが目に止まったのか乗車券の買い方を私に聞いてきた。そのうちに車掌がくると思うから待っていたらと説明すると安堵した様子だった。夏休みに入った中国に帰る留学生とのことだった。 煙草を吸っていた若者は、彼女の素性か明らかになったので当然煙草を止めてアタックに入ってきた。窓際にたった二人は、大学の話や地元の話を互いに始めていた。日本の学生にしては、積極的だと思っていると彼も帰国子女の経過が小学校のころにはあったらしい。 先に第二ターミナルで降りるといっていた米国人の彼は、自動販売機は無いのかと私に聞いてきた。昼の時間帯なので成田エキスプレスの編成が短くて連結部に自動販売機はないようだけど・・・と説明すると前の方に眼をやると車両の中まで結構な立ち席乗車の人が増えていて視界もままならなかったようだ。 しょげるのが判ったのだが私にはもうすぐ着くよとしか返す言葉見つからなかった。しかし立ち席乗車の人の波をラッセルしてきたのは車掌と共に車内販売の売り子さんだった。中国帰国の彼女も米国へ帰国の彼氏も二人とも満足げになったのはいうまでもない。改札の案内の後には乾杯が始まっていた。 千葉県が反対しようとどう思うと成田空港が決して便利でないことは明らかなのだが、時間を潰すという目的であれば成田空港のほうが羽田よりは良いそうだ。これは、中国の彼女をなんぱしている大学生の彼氏の受け売りだが。空港の上空で順番待ちしている様は中々理解されていないのかもしれない。複数の空港あるいは滑走路が増えるということで解決してほしいものだ。 成田空港の第一ターミナルも半分のウィングは閉まっていてなんとなく最近の不況の中で見ると余計に日本が貧相にも映ってしまうのは私だけか。滑走路の増設が決まり両ウィングがオープンするのはいつなのだろうか。 ノースウェストは便数が少ないのでカウンターが開いている時間が限られる性もあるのかいつもチェックインカウンターは混んでいる。予め席は先頭の席が取れていたので心配はなかった。ビジネスで席の心配があるのではこまるが。出国審査では書き込み手続きが無くなったので単に行列のみが長蛇になっていた。夏休みなのでいたし方ないところだが、ポイントはここである。出国審査窓口の空いてない側に一番近い列に並んで、窓口が空くのをすかさず察知することである。私は早々に先頭に陣取ることに成功した。しかし、パスポートの読み取り装置が私のパスポートを読み取るのに手間取りまだ手続きが慣れていないことが見て取れた。帰国するときにお手前拝見といきたいものである。 機内サービスもノースウェストに戻りほっと安心してゆっくりと休みつつ過ごすことができた。和食はなかなかお勧めなのだが、ボリュームという点では、不満かも知れない。そうした方にはあとの夜食スナックタイムにおにぎりなどが配給されるので心配はない。そのあとに二度目のデザートタイムも別途ある。さすがに朝の到着メニューではバナナだけもらって済ました。残すのはいやなのである。これは日本人の気質としてあるのではないだろうか。
サンフランシスコ経由で三時間あまりを空港で待機するのだが、この間に例の日本食コーナーで饂飩とカリフォルニアロールをつまんでいた。残念ながら、箸が品切れでフォークで饂飩を食するという珍妙な経験をした。やはり食べにくいものである。 サンディエゴ行きのジェットは発着口の変更のアナウンスがあり、暫く待っていたメンバーは口をへの字にして移動を開始はじめていた。柔道部の集団かとおもうような坊主刈りの一連がいたのだがU16と記載されておりサッカーには見えず何事かと思っているとアメフトだった。さもありなんという一団が、親善試合という名前でサンディエゴまで行くようなのであった。 エコノミーの席とはいえ三時間も前にチェックインしていたので席は先頭の窓側だった。最初のアナウンスで呼ばれてさっさと乗り込んだ。アメフトの一団やら初めての海外個人旅行でどきまぎしている風情の学生やらでごった返していた。サンフランシスコから空路はジェットでは揺れも少ないのだが、最近ではロサンゼルスからのプロペラ機に慣れてしまったのもありバスに乗っているような感覚になっていた。地上に見える風景には、これから進学する甥が行く大学町もあるらしいのだが、まだ地理的な位置はハッキリとは知らなかった。 実は前回の出張の際に、甥の進学祝いで彼が必要とするパソコンの半額を負担しようという申し出を姉にはしていて、半額は彼が今まさにバイトをして稼いでいるはずだった。振込先の銀行口座を教えてもらうように電子メールで姉には何度も催促をしていたのだが梨のつぶてだった。成田空港で買い求めた土産の餅菓子の箱二つは実は最後の秘策であった。 サンディエゴに到着すると後から到着する仲間が借りるレンタカーに乗せてもらうために彼の到着するコミューターターミナルに移動する必要があった。しかし、実際には到着したものの荷物が見つからないのである。荷物が出始めて辺りに人がいなくなるまでバゲージクレームの中で待ち受けたが見つからず困ったなと窓口に行きかけると既に到着していたと思しき荷物が脇に寄せられており、その中に私の荷物は待っていた。三時間待たされた主人とは別に先の飛行機に乗せられてしまっていたのだった。 時間的にロスをしてしまったのだが、コミューターターミナルへ行くレッドバスに乗り込み遅れた説明をしようと思いつつ降り立つと、荷物が到着しないんだと文句をいっている仲間と落ち合えた。彼の場合は、人が多すぎて荷物が積み込めないということでありこうした事態は普通のことなのだという事らしい。空いていれば次は混むから早めに積み込んでしまえという判断もあるようだ。幸い、次の飛行機が到着して降り立つ人影の中に事務所の別の人間もいた。日曜日の移動するのが常とはいえ、同一時刻に三人もが空港で出くわすのは珍しいことであった。待望していた仲間の荷物は最初に出てきたので一安心し、更に期待した三人目の彼の荷物は、同時に到着していた・・・。 レンタカーを借りるために連絡バスに乗り込むと、運転手は特別メンバーの人は居るのかとアナウンスしてきた。三人連れのなかの男がラストネームを告げ呼応すると、運転手はモトローラの業務用無線機に接続されたコンピュータ端末にタイプインして、応答表示されたスクリーンと照合してファーストネームを読み上げて男と照合が完了した。これも一つのプロトコルである。 特別メンバーの車は予め全て用意してあるらしく、バスはまずその地点で止まり三人はすぐさま車に乗り込んで移動していった。合理的な事が大好きな米国の考えそうな差のつけ方である。特別メンバーがまだ取れていない仲間は、カウンターにならび手続きを進めて実際の車を見て確認をしたりしての通常の手続きをだらだらと踏んでいく。こうした長い手続きに慣れているのも米国人の感性として評価すべき点だろう。それだけに特別メンバーなどの合理的な方法を考え提示するのかも知れないが・・・。 借りたコンパクトのキャパリエは冷房・ラジオ以外には何もオプションが見つからない仕様だった。ドアも個別にいちいちロック解除しなければならない。一人でのるのならそれでも気にならないのだが、二人で乗るときには不便であるようだ。当然窓の開閉は手回しである。 サンディエゴの強烈な青空の下で、涼しい風を浴びつつの車窓には、もっと開放的なオープンカーで走り回っているご老人の夫婦の車が何台か追い抜いていき人生を謳歌しているさまが綺麗な絵になっていた。燃費を気にするでもなくバックトゥザフューチャーの60年代に戻ったかのような車が快走しているのである。キャバリエに乗り込んでいる我々は、エンジンの音がゴロゴロいって気にかかるといった日本人っぽい感覚の話に終始したりしている。 今回のホテルは、この仲間が選んだヒルトン系列のエンバシーである。ホテルの概観はずんぐりした印象なのだが中は中空で中庭になっていて天井は明り取りが付いた不思議な空間のホテルであった。中庭をぐるっと囲んだ形の客室棟は12階まであり中庭はカフェとなっていて五階まで届こうかという大きな木も茂っており池には緋鯉が泳いでいる。そんな中庭を一望する展望エレベータが壁に露出する形で四本が運行しているのだ。 マリオットホテルはどちらかというビジネスが多い印象なのと比べて、エンバシーホテルは旅行客が多く子供も多いのが夏休みのせいもあるかも知れないがそんな第一印象だった。朝食は込みで付いているのはありがたいことだった。毎日、ベーグルショップに朝食を食べに寄っていたのがいつものことだった。 大きなモールにも面していて不便さはない。部屋は二つあって寝室とリビングである。リビングにはソファが四人分と低いガラスのテーブル、食事に使える丸テーブルに四人分の椅子、そしてテレビと冷蔵庫と電子レンジと珈琲メーカーがある。寝室には親子三人で寝れるほどの大きなベッドとテレビと洗面があり、あとはバスルームがあるのはいうまでもない。部屋の入り口は中庭に面した回廊側にあり、こちらには窓が設けられていて開放的な感じがある。 私の部屋は、エレベータから程近い便利なところだったが、ひっきりなしに動作しているエレベータの低い周波数の振動が気になったりもしていた。何か、不思議な感じのする中庭を見下ろす天井付きの広い空間は、子供達が飛び回ったり遊んだりするのには適しているようだった。子供ははだしで歩き回っている。洗濯機も低層階には配備されていて四台は無料だった。上層階の一台は、逆になぜか75セント必要だった。乾燥機も当然ついているのだったが仲間はいつもシンクで洗い風呂場で乾燥するので十分だともいっていた。この地域の乾燥具合からいえば確かにいえるのでもあった。 到着した日には、サクラメントの姉には電話していた。彼女の長男すなわち、私の甥が大学進学を決めてアルバイトにいそしんでいるというのが、私の理解だったのだが、彼は、ハイスクールの卒業行事のイベントシャツを企画して収益をあげたらしく、叔父さんの理解とは異なる方法で収益をあげて残りは叔父貴からの特別仕送りを期待しているわらしべ長者状態のようだった。振込み先の再確認を電話でも告げたのだが、翌日になっても電子メールの連絡がないので諦めて強制代執行に移り、土産の間に100ドル札を挟みFEDEXの一番不安全な方法で送付することにした。受取人がいなくてもドアに置いてくればよくて早く着けば良いというような選択である。結果、かえって何も怪しまれることも無く無事送金の目標は達成した。 例によってほとんどコンボイ通りの和食系のレストランで夕食をとっていたのだが食べる量は半端じゃないというのが毎度のことだが驚かされる。チョップスティックという日本食堂でとんちカツ定食というのを頼んだところチキンと豚のカツがハーフアンドハーフで出てきたのだが、そのトンカツだけでも日本では定食の量なのだと思う。 中華レストランでは、4人で行き4人のコース料理を頼んだのだが、ウェイトレスのお姉さんは、もう一品頼まないのかと引かなかった。実際に4人で食べて更に少しだけ残る程度で「ほらね美味しかったし十分だよ」と説明して漸く納得したようだった。 最近は日本でもあるFRIDAYというレストランに入りステーキとエビフライとポテトというプレート料理を頼み、スープにはオニオンスープがカップという名前の小さなボウルに入って出てきた。仲間はポークスペアリブとオニオンリングとエビフライのプレートを頼んだところリブの骨の分もあるのだろうが山盛りの料理が登場して、彼はさすがにドギーバックにしてもらい、翌朝食べたようだ。 今日は最終日でもあり、海の見えるデルマーという海岸地区の日本食堂に向かった。店内ではなくテラスで青空の下で夕食を食べて酔いの回った顔に夕陽が映えるといった中で寿司のコンビネーション弁当というプレートを各人が選んで食べた。私は照り焼きチキンと天ぷらとカリフォルニアロールのプレートで当然ご飯は寿司とは別に盛ってあり、味噌汁がつくということだ。六人ほどで食事をしてビールとつまみを食べたのだが$200ほどだった。まあ、出張中の食事は、全て会社の経費となるので建設的な意見交換が出来るビジネスミールとしてはお安い費用だろう。 ホテルに帰ってくると回廊の部屋の入り口には、食べ終わった皿や料理が置いてあり食べ散らかしたという印象の食べ方のまま残してあったりする場合も多いようだった。ともかく沢山盛っていないと気がすまないというのが米国流の感じ方のようで、それを食べきる人もいるし、食べきれず残すのでドギーバックにするという習慣もあるし、そのまま残してゴミにしてしまうという姿も、普通にある。さぞやゴミが出て漁るカラスで困ると思いきや日差しが強すぎるかカラスは全く見かけないのだ。普通ならカラスが氾濫して外のテラスで食事などできないのが日本なのだが、こちらではやせたすずめが落ちた食材を食べたりしている。 気になることも多い米国なのだが、そうしたことが気にならなくなっていくのが米国なのかも知れない。

業界独り言 VOL116 天動説から地動説へ

少し古い話になるが、リアルタイムOSを開発したことについて記しておこう。坂村先生の果たした功績は大きい。組込の世界でのITRONシェアは凄いものだ。先だって坂村先生の講演を拝聴することが出来たが、BTRONへの想いは現在の携帯のGUIすら視野においていたものだったようだ。透徹した思想だ。
 
さて、私はリアルタイムにBTRON事件が起きたころを渦中のBTRONの開発を推進してきた会社に暮らしていた。80286のアーキテクチャを使い切ろうとしたのはBTRONだったのかも知れない。インテルのアーキテクチャには不備もあったようでBTRONでは特殊なAPIを取ることになったようだ。
 
そんなことは、無線機器開発に身をおいていた自分には知る由もなかったのだが、仲間には、BTRON開発に参加した経験のものもいた。組込システム用のRTOSを開発することになったのは、偶然の所産であった。予めスレッドを分割したコードを作り出すプリコンパイラという機構を発案し、この実装を進めてきた。
 
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