業界独り言 VOL365 いやな空気

も うすぐGWだというのに、世の中にはいやな空気が蔓延しているようだ。世の不景気を煽ったともいわれている、携帯電話の助成金のカットも結局のところネッ トブックと共に再登場して人気を博したり、iPhoneの叩き売りを始めたりと動きはあるようだ。だったら何故やめて形を変えたのか、単なる政治家に振り 回されただけなのか・・・。不景気な感じは、町を見ていてもさまざまだが首都圏でも施設としてシャッター通りになったりビルごとつぶれていたりと地方に 限った話ではなくなっている。

高級志向で賑わっていたデパート気どりの駅ナカも、実態としては売れ残りが目立つようになりデパ地下の如き試食販売を始めたりとしているのだが、こ うした新しい施設での閉店などが始まるのも早晩だろう。平日の夜七時を回っていてパン屋のショーケースが在庫であふれていて閑古鳥がなき、今までであれば 整列のためのロープも排除して、店員さんが普段は決して見せたこともない試食を店頭で勧めているのである。なれない手つきとはいえ在庫を抱えて処分するよ りは良いということだろう。

映画館でも同様だ、切り詰めるところで最初に出てくるのは娯楽なのだろうか、以前にもまして閑古鳥がないている。良い映画を楽しみたいので、出来る だけパンフレットも買い、収入源となるだろう店頭売りの菓子も買いと協力しているのだ。月に二度は映画館に足を運んでいるのは多いということか、シネコン になりチケットの売り方も上映時間も最適化されるようになっているのだが、はたしてやっていけているのだろうかと心配になるのが最近の映画館の人の入りで ある。チケットの行列も短くなっている。

いやな空気は、朝の通勤時間にも蔓延している。四月であることからなれぬ学生・社会人が余計にラッシュを煽り、不景気で暗くなり朝から天界に旅立つ 不孝を許せとばかりの日常化した人身事故がつづきますますラッシュを煽っている。鉄道が複雑怪奇な乗り入れを果たしている今では、欧州並みの時刻表運用と なりつつあるようだ。欧米化の達成は、着実に蔓延している。マナーの悪い学生・社会人・子供の親・その子供とそうした連鎖がますますよどんだ空気を作って いる。

明るい話題がないものかと、楽しい映画やキャラの俳優などに目をやるのだが、欽どんの清水由貴子さんが親子心中で自殺をしたという暗いニュースが 入ってきた。明るいキャラで、お母さんを支えてきたということだったのだが、介護に疲れてのことなのか家族の墓前での親子心中とは悲しい。彼女の楽曲は、 iPodに出来るだけ入れている、せめて旅立った彼女を懐かしい曲で見送りたいと思うのである。入社時期の76年が彼女のデビューとは、自分に時代が映る わけでもある。

業界独り言 VOL364 花見の宴

四 月に入り、三寒四温の巡りもあったが桜は満開となった。次代を支えるのは、日本の若者ではないのかもしれないが、そんな雰囲気の国際的な大学でクラスを依 頼されて、仲間に任せることにした。普段の日本語でのサポートとは異なり、英語ベースでの授業では冗談も日本語では言えず、それなりに苦労するとともに真 摯に勉強をしようとしている留学生達の覇気に負けてしまったような一面もあり単なるクラスでは収まりそうもなかった。相互に意義のある経験になると思って いる。 ニュースでは不景気が大行進しているのだが、明るくしようという動きには皆が立ち上がっていないようだ。先述のクラスが行われたのは新潟県の片田舎 というか、角栄先生の成果で出来た新幹線駅の近くということで、よい自然で良い環境に恵まれた場所だった。高邁な思想で創立したのは、経済界の重鎮たちら しく名だたる会社の名前が、施設には冠されている。はたして、そうした気概ある会社の創立者達の覇気が、現在のそうした会社にも残っているのだろうと期待 はするのだが・・・。 参事に昇格したという朗報が、後輩から寄せられた。良い話以外には、会社支給の携帯がなくなるのでメールアドレスならびに連絡先が変わるという案内 も付記されていた。携帯事業がバブルのプロセスだったとすれば、そうした背景を助長していたのは社用携帯ということもあっただろう。最新型の携帯開発を三 連休に向けて必死にサポートしてきた仲間にとっても、そうした携帯を手に入れるのは社用族ではなく、新規の入社記念の個人消費なのかも知れない。少しでも 経済効果に寄与したく、黒いカメラ型世界携帯に切り替えたのはセメテモノ抵抗だ。 忙殺されてきた仕事のステップとして、成果が目に見える形で私の机には携帯が積もっていく。懸命にサポートした初号機などは、あまり活躍する間もな く出張の飛行機で失ってしまった。国内線の飛行機の稼働率の高さに驚きもし、開発での苦労なども思い出されて残念でもあった。会社の社用携帯は、そんな自 分たちの仕事の石碑でもあったかもしれない、携帯開発の技術会社にあってのせめてもの特権だと思っていたのだ。エコロジー的に考えれば買い換えるのは不徳 のいたすところということでもある。 ケータイの進化は、機種移行の際にも実感するし、生活に密着した機能故に手放せないということでもある。さまざまなインフラやサービスに基づいて実 現されているこの端末の周辺を、アルバイトのケータイショップのお姉さんが一時間足らずで移行処置が出来るようになっているのにはある意味で驚かされる。 日本の墓標になってしまったTDMA技術は、PHSも含めてすっかり世界から愛想を尽かされた形であり、GSM+CDMAの携帯などは、その意味では忌み 嫌われるものであるに違いない。そんな携帯を駆って回ることを考えると感慨深いものでもある。 さて、話を花見にもどすと不景気な流れを払しょくしようとして社長に寄付をせびり、周りを焚きつけて花見の宴を催すことにしたのは。影の総理ではな いが、ある意味でフィクサー的な気持ちも手伝っている。新潟の出張の日と重なっていたのは格好の契機となり地酒セットを買い求め、つまみとなるチョコ柿の 種なども買い求めて出張先から靖国神社へ急行した。靖国神社の境内ではまさに日本文化の源となるような宴のDNAが満ちていた。無粋な傾倒した新聞社も政 党もいない、純粋に日本人として桜を愛しての信仰が深まる祭事といえる。 経済戦争の火種は、いくらでもあるし、実際問題今の日本は、またその意味では敗戦国に陥ろうとしている雰囲気だ。国が破たんして、国民が勝手なこと を訴えて憲法に苦情をとなえている。戦争に加担して生活資金を得ているともいえるのだが、生活レベルを国民皆中流意識に押しやってしまった責任が所得倍増 計画の首相だとは思わない。憲法に苦情を唱えているような人たちが適当な自分たちの論理で固められた嘘だらけの米国占領下の戦時作戦のままに萎えた国民に なっているようだ。有事の際には実際問題、なにも出来ないらしいということは、兵器の宅配すら出来ない状況からさみしい限りである。 いっそ、佐川急便の生きのいいお兄さんたちを全員、自衛隊に招へいしたほうが良いとさえおもうのである。戦争のプロというと物騒かも知れないが、有 事に備えるというのは平時にはいつでも行動がとれるということの積み重ねでしかなく、マニュアルで呼んだことしかないといったレベルでは、プログラムを組 んだことはありませんといった中間管理職に最初からなるしかないメーカーの技術者と同じではないのか。 日本が世界に誇れるものは何か、ドラえもんなのか、ドラ焼きなのか。どらえもんの人気は、さることながらドラ焼きについては、国際的にはまだ紹介が 不十分らしい。今は、ようやく柿ピーが日本発の流行最先端になろうとしているらしい、それ以前はポッキーやハイチュウだった。みな生活レベルが高まり美味 しいものがようやく分かるようになってきたのである。まずいものは世界中でまずいと認識されるようになったのは、おいしいものとの比較が出来るようになっ たからでもある。世界中の格差に基づいて搾取しているようなサイクルはもう破たんするしかない。 私は、この会社でのコネクションとコミュニケーションの道具として、いつもキットカットを使ってきた。毎回出張のたびには、やまほどキットカットを 買い入れてもっていくのだ。むろん日本にしかないオリジナルテイストに限る。異文化の接点は、まずこうした味覚であり、そこから話題が広がっていくのであ る。国内にあっては、ドラ焼きや六花亭などの道具立てなのだが、毎日の通勤でも季節に応じたペストリーを求めて遠回りをして会社に向かっている。最近の忙 殺されてきた中では、国内に限らず、お世話になった普段は訪れない地域のインドとアメリカのボルダーには、国内でも好評の五色豆の入った茜丸というドラ焼 きをセットで贈った。評判は、とてもよいようだ。何せ、36度近い気温のインドにはキットカットなど送る余地がないのである。 開発が完了して、三連休にはショップにカメラケータイが並んだからでもある。そんなことは、会社のやるべきことだと喝破する人がいるかもしれない。 昔はそうだったかも知れない、今は、そうした行為もすべてを会社に期待することは出来ないし消費の美学として人の喜ぶ声やメールが見たいというのが私の意 識である。浪費だというかもしれないが、いいじゃないかゴルフに使うでもなく、飲むわけでもないのだから・・・。こうした行為が、日常的に寄付行為として 税制改革されれば、もっとみなさんが使うことになると思うのだが、いかがなものだろうか。 エントロピーを高めるためのよいサイクルを実現するような活動をしなければ、結局のところ社会の公器たるべき事業にはならず、結果として会社として の存続も出来ないということになるのだろう。意識の持ち方次第で、なんらかのプラスの方向にもっていけるはずだと信じたい。まずは自分の出来ることから消 費をプラス方向に変える使い方で増やしていくということが花見の宴で再確認したことでもある。来年も花見が出来るようにありたい。