VOL59 ベンチャーに走らいでか 発行2000/11/24

来年の話といっしょに来世紀の話が同時に出来る稀有な時期である。社名を次世紀とされた方もいらっしゃる。特異なメンバーにも映るが、かつてベンチャー気風旺盛だったころの初芝の事業部の方たちだったりする。システムと無線の両方を手がけてきた時代はアナログ無線とシステムコンピュータの融合などを図りつつ交換機までもまとめえた事業部であった。

いま、ベンチャーに移って手元の本として読み共感が持てるのは松下幸之助の伝記として(?)津本陽氏が書かれたものである。何か事業を続けていくという感性に立ち返り新たな製品や分野に立ち向かうというサイクルの中で物作りというプロセス自体も変えて行くべきだろうか。時期を考えて変貌していくさまは初芝電器自体がベンチャーの歴史であったようにも感じる。

今、元初芝の人たちと語る中で共通して感じるのは、ベンチャー精神の表れである。かつて初芝通信の社長への道を求められて、「やりたいことが違います」と言い放った人物もいる。会社という枠の中で新たな胎動の時期を感じていればこそのこうした人物の出現であると思うのだが中々会社の計画と折り合うものではない。例年の延長で拡大していくことが望まれる会社の中であたるもあたらぬも八卦のような扱いでベンチャーを捉えているのでは進まない。

次世紀に向かっての放談を重ねるこうしたメンバーとの忘年会も楽しいものであるに違いない。共通の意識ベースを初芝時代に共有する仲間達はベンチャー仲間としても有用な接点である。会社でやらないのなら・・・、というのがベンチャーの原点であり会社でやってもらえた場合には社内企業家と呼ばれるのかもしれない。

個人ドメインの取得もしたので来世紀は楽しめそうである。独り言からの脱皮を考えている昨今である。間違えて書きかけのメールが出てしまうのも注意しなければならない・・・

VOL58 外資の中の暖かさ 発行2000/11/21

季節の変わり目には訃報がつきものである。私小説にあったケイ佐藤氏の父上が亡くなられた。病気療養を繰り返されていたとのことである。ベンチャー精神旺盛な彼を育て上げたお父上には一度お会いしてみたいものだと考えてはいたが残念なことである。彼の故郷は、福島県でありベンチャーのインキュベーションでのコンサルティングなどには地元の企業からの出資も募ったりと福島には志の高い人が育つ土壌があるのだろうか。

同僚の中にはTIの経験者などもいるのだが、外資の会社では同僚の親族の葬儀で会社として向かったりすることは無いらしい。無論、当人の場合はあるようだ。日本の製造メーカーから来た仲間もそうした会話をしつつ外資での暮らし方に若干の戸惑いを持ったりしているようだった。ベンチャーである我々の会社としては、まだまだ総務課といった通常の会社にあるべき組織が無かったりしていて作法などもこれから決めていくことが必要である。

ケイ佐藤も初芝通信からの転職してきた経緯があり、彼の同期にあたる仲間や初芝OBの仲間にメールで連絡をした。今は常務であるケイ佐藤は、重要な案件を抱えているために彼が召集しているいくつかの会議について現地社長である本松氏が代替したり、連絡を取り延期したりといった慣れない対応をしている。まだ若い会社であるためにそうしたことへの対処が決められていないことによるのであって、外資だからといって冷たいといったことではない。

関連するキャリアの方々は、こうした事態を正しくは把握されていないらしく会社として参列する人の名前を聞き出そうとして、香典をたくされようとしている。こうした周囲の会社への対応も、我々は学んでいくことが必要であろう。司法試験を目指す大工バイターのOBやベンチャーの社長の方などからの託された香典を抱えて個人休暇を取得して通夜に赴くという暮らしも暖かいと感じている。私の本日のサポート業務は延びるまたは同僚が代行するというのが、その答えだ。

VOL57 展示会あれこれ 発行2000/11/18

昨年の組み込み開発環境展(ESEC)は、自身の転職の悩みの渦中であった。組み込みにフォーカスした展示会は幾つかあるのだが春のESECと秋のMSTである。この業界で20年現場を続けてくるなかで、知己も増えてきた。「国内の通信機業界での転職は、メジャーではないよ。」という某社の社長がいる。「毎月5名もとっている会社もあるようだし・・・」というと、「このご時世で毎月五名も増やしているのは怪しいんじゃないか」とコメントを呉れた。確かに、不景気な世の中で見れば怪しいという分類にも括られるだろう。

初芝通信時代に出来たこうした繋がりは、関連情報を得るのにも有効に作用する。Quad社が直接手出しはしないものの、関連してくるカスタマーや最近の3rdパーティとの連携などからも今まで以上に情報は必要になってくる。チップベンチャーとしてのQuad社は良くも悪くも米国の会社である。日本での展示会で見つけるべきは日本のベンチャーの技術であることに目的の相違は無い。米国の技術を日本の展示会で見つけて米国にフィードバックすることの意義はあまり見当たらない。とはいえ、知り合いから紹介される話は、まず聞くことが必要である。

消費電力低減は、携帯業界でのキーワードである。幾つかの関連技術が日本発でありながら埋もれている例がある。今回は、データ駆動型プロセッサを逞しく続けている会社の方と話をした。OSなしでデータが無いときにはハード的に待ちに入り電力が停止する・・・というのは究極の技術であるはずだ。もうこの技術が登場してからアプリケーション応用を模索して既に10年あまりは経過しているようにも思う。家電画像処理の端末にようやく離陸しそうだという。

ハードウェアとソフトウェアの巧みなコンビネーションの技術も要注意である。ソフトウェアだけをフォーカスすると見落としてしまいがちな話も多い。iTRONのカーネルをハードウェア化するというユニークな取り組みをしている豊田高専の先生は前から注目していたのだが、大学関連の発表の中で紹介されていた。期せずしてお会いしてお話することができた。

Quad社のチップセットにもこうした取り組みを反映すると単に内蔵キャッシュを増やしたりせずに性能向上を図ることがチップ面積からみたコストとしても安いというような経済観念を持つ必要がある。こうしたSEの意識をもちつつの外資ベンチャーライフも中々楽しいものである。隣のレーンしか見えないような仕事の仕方ではない。

VOL56 21世紀への仕掛花火 発行2000/11/13

新世紀を前に、私はいろいろな仕掛けを準備しているのだが、周囲からの誤解も多いようだ。携帯端末開発メーカーのビジネスモデルの刷新ということは、ある意味でi-MODEで経験されていることと思っていたのだが・・・。WAPのベースは時代が要請として生み出された背景がある。そんな仕事をしていた自負があった。しかし、WAPというモデルよりも楽しいことが出来て広がりが生まれるということでi-MODEが離陸したのだった。

今は、そんな状況に近いのがJavaの担ぎ出しである。JavaはMIDPやCLDCという標準化の中でデファクトになっていくのだろうが、逆にcHTMLほどのインパクトは無いのかもしれない。世紀末ということでの反省は、端末ビジネスのJavaでWriteOnce Do Anywhereを実現しても出来ることの対価と実現するための対価とを比較した議論が十分ではないようだ。障壁は常にサーバーにあるということだ。そうした障壁を打ち崩すには、端末同士でのアプリケーションになるかもしれないし、強靭なサーバーを安価かつスケーラブルに実現することかもしれない。

Java高速化技術もチップと組み合わせで考えると出来そうな時代に21世紀はなりそうだし、あまねく売っているチップの上にプラットホームを構築するという考え方も有用だろう。スケーラブルサーバーの技術ベンチャーの社長が来日した。初芝時代に出会ったベンチャーであり紆余曲折はあったものの今限りなく光り輝く状況のなかでまさに離陸しようとしている様子だった。物作りという次のフェーズがあるものの次の世紀の主役になるだろう。ケータイの対極の技術かもしれないのだが、こうした技術が無いとケータイが売れなくなってしまう。

そういえば、かつてBASICインタプリターの高速化を目指してパッシブ方式のインタプリタを開発したのだが・・・。先日Javaの高速化技術の話を聞いて、同様な技術であると認識した。そうした話をしようとしたときにベンチャーの人間は耳をふさいだ。基礎技術としての考え方で言えばそのパテントは有用なものであったのかも知れないが、時代に先行しすぎたのかも知れない。ケータイソフトウェアの高速化方法論としてJavaアクセラレータはこれから必須のアイテムになるのかもしれない。日常の中で気になったアイデアをゆっくりと考える習慣を持つ技術者の育成と最近の仕事のスタイルはマッチしているのだろうか。

こうした検討をすることが、チップ事業を営んでいる弊社に要求されるのであれば、そうした人材も更に求人していくことになるだろう。こうした研究を長らく続けてきたメーカーもあるだろうが、実際のパテントやビジネスというものにうまく繋がってきては居ないようだ。標準から外れるとか、デファクトでないとかいうことで眼鏡を曇らせてはいけないのだろうと思う。だれがVisiCALCのApple2の後に現在のMicrosoft思い起こしたのだろうか。そうした夢物語を語りつつ、ビジネスチャンスを話して誘うことは私にとっての素直な行動であり、独り言の所以でもある。業界の夢を語るメーリングリストがあってもいいじゃないかとは、勝手な弁でもある。

しかし会社という枠組みをこえた行動はメーカーの商慣習を揺るがしてしまうのかもしれない。ベンチャーとしての有りようではあると思うのだが・・・。

VOL55 横一線の不公平 発行2000/11/08

昨年から付き合いの始まった、あるメーカーの購買担当の方が転職された。行き先はチップデザインを使命としているベンチャーである。業界の狭さは今に始まったことではない。ビジネスモデルとしてより良いものを求めて会社が興り、人は自己実現の場として移っていく。

ますます業界の輪が広がり、相互研鑚あるいは血まみれのバトルを行う戦場になるのか。製品展開の速度は、ITウィルスに冒されたらしくエンドユーザーの意識やニーズを超えて噂の真相を語る閑も無く噂から確信に変わっていき事実や標準になっていく。

開発速度の改善に必要な技術は、モジュール化や共有化であるがCDMAほどの大規模なシステムになってくるとひとつの会社で抑えられる範囲を越えてしまっている。そうした業界に根ざして活動しているのがチップデザインとソフトウェアを提供する弊社のようなベンチャーなのである。

そうした弊社もモデムエンジンとしてロックウェルのような道を選択していくでもなく・・・CDMAハンドセットあるいはCDMA組み込み端末開発のレファレンスデザインの範疇としてアプリケーションの領域まで手を伸ばそうとしている。こうした取り組みは今までのメーカーでの研究所のような仕事でもある。

サービスでの競争という観点でいえばキャリア絡みの項目になり横一線となり。幾つかの有望な技術を保有するサードパーティの開発リソースがショートすることに陥る。これにともない製品リリースが遅れることになるのだが、これは不公平な感じだ。

解決していくためには、我々とサードパーティが組めばよいのだろう。しかし、CDMA技術とソフトウェア技術の接点で権利や契約が横行して足枷になる。ライセンスを取得したユーザー以外のサードパーティとジョイントしていくことを業界が要求している。

遊びの余地のあるような仕事は、レファレンス開発の提供と将来展望を夢想して推進していく我々のような場所にしかなくなろうとしているのだろうか。先進の技術の舞台裏では、リソースはあるが泥臭い仕事と楽しいがリソース不足となっている仕事にカラーリングされているようだ。

さあ、意識ある技術者を募るラウンドが始まる。来月は、ボーナスが出る季節だ。ウェットな感覚を持つ日本の技術者にドライな転身を求めるにしてもこの時期は相互のタイミングがシンクロする時期である。21世紀をどうやって過ごしたいのか考えている技術者がいるはずだ。

VOL54 21世紀のホームパソコンは 発行2000/11/06

常時接続にようやく自宅がなろうとしている。専用線の接続を考えていたが、IP接続サービスの話があって頓挫していた。自宅の接続環境も無線LANを導入し、IPルータの設置を行った。下町の猫の額の土地に立っている我が家では垂直方向にのみ部屋があるので無線LANの接続距離が気にかかっていた。ともかく購入してみないとわからないこともあったのでIOデータのISDN-TA機能内蔵の無線LANルータを購入してみた。アンテナがダイバシティでついているからだった。(角が二本)

購入検討で問題になったのが設置環境のDSU外付けの条件を満たさないことであった。DSU内蔵モデルが一般化しているのだった。慌てて探すと、みかか-MEのモデルしかないようでありみかか-MEの802.11拡張モデルにした。鉄骨三階建ての我が家の床をぶち抜くには二階にルータを設置するしかなかった。使ってみるとかなり減衰するので三階や一階では2Mモードでしか接続できないようであり、無線LANの実用性についてはフロア毎に設置すべしという感覚を持った。

しかし二階の居間に置いたルータを接続する有線LANの対象は今はなく、嫁さんのノートパソコンが行き来するだけである。一階の書斎で構築していたISDN-TA+外付けルータでのネットワークの交換を考えていた私には書斎の機器接続の有線LANとの間の無線LANへのルータを考えることが必要になった。PROXY2000というソフトでこれを解決しようということになった。以前、出先での開発環境構築用に購入してあったソフトである。

先日出た、予定外のボーナスを奮発してマシンリニューアルを合わせて図ることにした。800MHzのP3のマシンである。DVD/CD-R/PC-SLOTを持つデスクトップマシンである。ディスプレイは既存のものを利用して予算を抑えた。現用の200MHZのPマシンはLINUXに専用にすることにした。ただし、これにはPCMCIAのスロットが無い。結果として新しいクライアントマシンに直接無線LANカードをさして接続している。

嫁さんがLINUXマシンのファイル共有を活用したりするには、LINUXマシンを居間に設置したほうがよさそうな状況である。嵩張っていたマッキントッシュや、そのプリンタは処分することにした。ニフティの掲示板に出して廃品処分とした。コードレス電話やオープンデッキなども合わせて一括で引き取ってくれる殊勝な人が最初にメールをくれて一気に片付いた。次はプリンタ共有を無線LANで行うことだが・・・我が家のプリンタはFAX兼用なのである。さてさてどのような状況になるのか。

VOL53 模索する若手技術者たち 発行2000/11/02

母校の文化祭を訪問して最近の卒業生たちと話をする機会に恵まれた。初芝通信時代に、会社からのリクルート活動として訪問した際の学年の方たちだった。偶然にも、その中の一人は携帯メーカーに入社してPDC用のASIC開発をしているS君だった。彼と同期で、やはり通信メーカーに入社したTさんは横須賀に今は詰めていてWCDMAの無線系の開発をしている。

S君は皆、懸命に技術者として取り組んでいる姿は眩しい。忙しい中にも自分の取り組む課題に向けて邁進していく姿である。猛烈に忙しいだけの仕事で見えない展開などでは疲れてしまう技術者も多いのだが、彼の部署は転職できるだけのスキルを身に付けるべく懸命に取り組んでいるとのことだった。こうしたフレーズは、会社入社直後には日本ではよく教えられていることだが実践できるかどうか別問題だ。

高専では大学に進学するメンバーも多い、編入で三年に入り更に修士コースを選択される人が多いのだ。S君と同期の友人の一人は、エレベータ製造の会社に入り、もう一人は修士に進んで、いま就職について考えているようだった。卒業して三年経過した彼等の仲間からの話を聞きつつ、技術屋として仕事をしていこうかどうしようかと悩んでいる矢先だったようだ。

正直、就職を決める頃には、勤務地で決めたとか先輩が説明に来たからとかの理由であったりする。景気が厳しくなり就職の条件もいっそう厳しくなる中で、彼らも会社を選択する目も真剣な様子だった。大企業だからということで就職しても自分の実力を高めていくようなことが出来にくいことも往々にしてあり、小さな会社で実力を高めたりして転職を重ねていくのが良いというような米国流の話などを紹介したりすると妙に納得されたりした。

学校の先輩としてあるいは社会人としての先輩として、さしさわりのない範囲で携帯の開発を通じて知りえた日本でのメーカーの個性や特色などについて紹介してあげた。無論それは、その会社の一面であって全体では決してない。同じ会社であっても、良いタイミングでよい仕事や上司に恵まれて実力を発揮して有意義に生活している人も居ればそうでない人もいるからだ。

会社というものは生産活動の組織であって、人で構成されている。色々な周りの環境や状況などからどんどん変化していくものである。まだQuad社のように若い会社では、その仕組みなどを改善あるいは規定していくことが必要である。良い雰囲気を維持しつつ、人材をスムーズに増加させていきたいものである。空いているブースにも、どんどん新しい職責の人が入社してきて今までの体制からは改善強化されつつある。

来週は有望な若手の技術者が訪ねてくる予定だ。来月にはまた一人技術者が増えてくる。これから日本としての教育の仕組みなどを考えつつという新たな仕事が増えるのだが、これは嬉しい悲鳴である。