業界独り言 VOL127 日雇い生活の狭間で

一週間のペースというものが有るわけだが、月曜日は落ち着いて戦略を考えたい日である。米国がまだ、日曜であるからだ。土日までも出勤して色々な質問がメールで溜まっていたりもするのだが、そのまま返事が出来るもの有れば、こんなサポートまでもしなければならないのかという物もある。担当外だからといって内容も見ずに翻訳してサンディエゴに依頼をしていても身につかないので出来る限り把握をしつつ質問内容を確認して精度の高い情報に仕上げたりする落ち着いた時間でもある。

火曜日は、各国のサポートチームが電話を通しての会議で始まる。アジアとアメリカを結んで会議通話をするわけだが昨年から始まったアジア地区での事務所の電話環境は、まだ悪くて会議通話のなかでのノイズが予測できないようなパターンになるらしく除去されずに増幅されてしまうありさまだ。こうした音の加工も携帯端末であれば自分達のDSPなどの範疇であるのだが、交換機屋に文句をいっても仕方がないことなのだろう。こうしたノイズを越えてそれぞれの国の訛りのある英語で報告される内容を確実にサンディエゴチームが聞き取るのには恐れ入る。

やはり、日本人には聞こえにくい音があるというのは事実なのかも知れない。トレーニングCDを利用した成果は自分としての認識は無いのだが、同僚に比べて発音を聞き取る能力は高まったようには感じる時でもある。聞き取れるから判るのではないのだが、聞き取れなければ始まらないのも事実である。無論、聞き取れなかった事に留意しすぎて次のフレーズを聞き落とすことよりは次のフレーズから補完して話し全体を理解するようにしたほうがより良いように感じてきた。単語力は但し、自分でつけて行くことが必要だ。

お客様からの呼び出しを受けて、リリース間際の開発の渦中のお客様を訪ねて羽田に向かう。現地の空港で仲間や開発ベンダーである関連メーカーのチームと合流する。作法も判らぬ地方空港で昼食を挟んで互いの状況確認を行いつつ打ち合わせに入った。おかずを適当に選び、冷め切った肉じゃがなどを前にどうしようかと思っているとコーナーには電子レンジが置いてある。暖めて食べるのが作法なのだろうか。醤油とソースが同じ色の容器に入っているのも不気味なものである。勝手が判らない、なれない環境で仕事をするのと同じで大変だ。

山奥の秘密基地のような空港からタクシーで急行する。30分近くも高速を飛ばして、酒作りの町まで到着する。近隣で携帯技術の:研究に従事している知己もいる。普段は、こうした郊外への出張などなさそうなソフトベンダーであるらしく旅行のような感覚らしい。ようやく目的地である顧客先の工場に到着して、第三者であるソフトベンダーを交えての会議は始まった。雰囲気は、どこかぎこちない。無論端末を開発していただく上で、魅力あるソフトを開発してもらうことも必要なことである。全てのソフトを提供しているわけではないので、お客様の手を煩わせずに手伝いするような細かいケアも必要となる。ゲーム開発に必要となることと確実な動作という概念で設計される電話機としての物作りには相反する部分が存在している。

既に多くの携帯電話に移植されているというゲームソフトを実際にCDMA電話にも移植が開始された。CDMA処理に割かれるCPUパワーの成約とJavaなどの成約から開放されたさまには可能性を感じる出来だった。今後の展開が面白くなりそうな印象を新たにした。無論、日本の端末ではないために幾つかのスペックは見劣りする点もあるのだが実のある価格で実現するというコンセプトを提供していくという姿には、お客様からの共感を得られるだろうと考える。

ゲームベンダーとの打ち合わせは早くに結論を導き出せたのだが、いくつかの変更要望事項の盛り込みについては現在進行しているキャリアさまとのフィールドテストの進行の妨げにもなるためにリリース凍結といった目的からは次回のリリースに回されるという判断がお客さまは持ったようだった。ともあれ電話機としての完成度を高めるためのお手伝いが本来の私自身の仕事でもあるので、アルバイト的な改造よりもお客様の疑問や問題解決のために頭脳を貸し出すことに専念した。

ゲームやプラットホーム開発のチームとは現地で分かれて、そのまま関西のお客様のトレーニングのために大阪に新幹線で向かうため、近くのJRの駅までタクシーで急行する。着いた駅はひなびた感じのする駅舎であった。山陽本線に乗り込み、新幹線の最寄駅まで何故か先に進む形になっていた。手配してもらっていた券面を確認すると見慣れない駅名までのチケットとそのさきののぞみのチケットとなっていた。某市内から大阪までのチケットらしくひなびた駅が某市の市外であるための部分へのチケットとの構成らしかった。

最近は、どこの駅でもPHSはエリアになっているらしく、メールの送受信には困らないので駅のベンチがそのまま私の事務所に変身し、続いて山陽本線の座席が事務所になった。30分ほどで到着するはずの電車が途中で停車してしまった。何かと思うと信号機の故障だという。車掌が降りていって、信号機の修復をしているらしい。のんびりとしているものだ。こうなると優秀な鉄道ダイヤから検索された乗り継ぎ案内も形無しだ。無論、欧州のように鉄道ダイヤ通りに走行したら正面衝突したという事例もあるのだが・・・。

700系のぞみに乗り込み、大阪に急行する。先に東京から向かっている同僚に連絡をとると既に大阪いりしているようだ。夕刻に関西空港に入国する予定の米国チームはもう少しでホテルに入る予定らしいので、待って先に食事を始める予定だといっていた。私自身は、あと一時間ほどはかかるので先に始めていてくれるようお願いした。暗くなるのは早い、初芝時代に良く通った山陽地域ではあるが複数のお客様のサポートのために出張が重なっているような生活は無かったものだ。ある意味ベンチャーとしての忙しさでもある。

二日間を大阪のホテルとお客様との往復で費やす。端末にはPHSのアダプターが刺さっているので、どこでもオフィスである。20GBのディスクに蓄えられたドキュメントとソースならびにネットの先にある会社のデータベースが仕事の支えである。文化の違いは、あれサンディエゴのエキスパート達の技術を日本のお客様に繋ぐコネクターの仕事は、かつて要素技術を開発していた時代の仕事に良く似ている。共通語である英語に集約して資料やソースコードが出来ている点は異なるのだが・・・。

こうして予測できた週末の夕方の時間は、京都駅のミスドで珈琲をのみながら端末に向かっている。トレーニングに来ていたメンバー達を週末観光にするためのホテル予約などの手続きの最終確認などをメールやウェブで検索して処理をしている。狭いテーブルが作業机になっている・・・。当初は、この行楽シーズンのさなかに急に京都などの宿が取れるのだろうかと思うような状況であったが幾つかの候補が見つかり最終的にベッドのサイズから新都ホテルに土曜日泊まって貰い一日半の京都観光をしてもらうことになった。

実は、金曜の夕刻まで京都に残っていたのは、知人と久しぶりに話しをすることになったためでもある。マイコンの開発を四半世紀続けてこられた「マイコン老師」と私が勝手に呼んでいる尊敬する同期の方である。オイルショック後の不況期に入社した同期の人数は少なくベビーブーマーと高度成長期の多くの先輩達で構成される社内でも特異な世代ではあるのだが、なかなか凄い人物が多い。マイコン事業の渦中からみるとユーザーである私の仕事が異様に映ったときもあったようで彼のところまで「呼び出し」を食った記憶も新しい。

約束の時間に、京都駅で待ち合わせていた。実に7年振りくらいの再会である。一緒に来ていたのはやはり知己である現在は彼の番頭さんをしているコアエンジニアである。厳しい時代であるが、夢を追いかけつつ新たな分野としての実績を踏んできた彼らの業績は初芝の中でも誇れるものだろう。そろそろ50に差し掛かるという年代であるが、相変わらず実に若々しい感じである。奇遇であるが、新都ホテルで食事をしながら歓談することになった。

先だって日経に掲載されていた人事通達から彼のマイコン開発分野での職制が開発センターの所長であることが、わかったのでお祝いの茶菓を送付していたのだ。初芝をやめるときに「あんたはようやるわ」と京都弁で頂いた彼からの手向けメールが懐かしく思い出される。私がベンチャーに身を寄せて何をしているのかというのが彼の知りたいことであったし。私も携帯ビジネスと半導体ビジネスの間を飛び回るものとして、もっと色々な半導体メーカーと付き合うべきであるという感触を持ち始めていることもあり、彼の最近のことを知りたかった。

かつて少し時代から浮いて、日経に三菱のマイコン応用記事を掲載したりしていた怖いもの知らずの時期を過ごしながら、同期である彼との接点が再開したのは初芝の事業の連鎖反応的なことの一環であったのかもしれない。良い意味で総合電器メーカーとしてアプリケーションとデバイスが繋がっていた時代である。彼の暖めてきたコア技術を使うことで携帯電話への応用や未来が予測できたのは幸いであった。これがきっかけとなって初芝の携帯電話のマイコンは三菱から初芝オリジナルにハンドオーバーしたのである。開発投資とビジネスの連鎖が続いている時は安泰だ。

現在の携帯電話の溢れ返った時代を6年前にその萌芽として始めていたことと、現在のQUAD社での仕事への流れは自分自身でも予測できないものであった。しかし、人と人との連鎖反応的な結果として今は捉えている。技術者は殻に閉じこもるべきではないし管理志向に全員が進んでいった場合には空洞化してしまう。情報共有していくために必要なコピー代を案ずることもなくなり、ウェブやメールで実現できる時代となった。そうした事が適わなかった時代において始めた、情報誌のようなミニコミ活動などが今のこの独り言の原点でもある。

若手に伝えたい、あるいは同僚に伝えたい、先輩に伝えたいといったことを広がってしまった輪の中で実践していくことへの限界と挑戦してきた。最後に前線から離れて閑職と呼ばれるような状態に陥ったのはある意味で敗北であったかも知れないが、どんなときでも前向きに仕事をしていきたいという思いに変わりは無い。そうした結果、また新たな人との出逢いが生まれてストーリーは展開していこうとしている。

しかし、実際の私の生活はお客様の開発スケジュールと変遷する日常のイベントにより駆動され、今日の予定は判るものの明日の予定は今日確定するといったことが最近続いている。日雇いのようなものだ。火曜日の朝、お客さまのトップが来訪して、密接なサポートを要求されると、その結果米国駐在サポートのストーリーが出来たり、あるいは同日提供した解決策が功を奏するとこのまま日本でサポートをしてほしいといわれる。ギアチェンジが入ると行き先も変わる。急遽また週末を大阪のホテルで過ごしたりしている。

毎日パスポートとのぞみの回数券を持ちながら流浪の旅をしている・・といった感じではなくて。毎日のオフィスが変化に富んでいると観るべきであろう。こうしたメールを大阪城を目の前にしたホテルから書いていたりするのも何だか不思議なものである。お客様がもう少しプライドを捨てて仕事をしてくれたら進むのになと思うことは多く実質的な進展に繋がらない障害の多くはお客様のなかにあったりもする。フラットスリーではないが、フラットな中で開発・支援の両輪を回している私達の会社をもっと利用してくれたらよいのに・・・。

今日は、ボスとの国際電話でのパフォーマンスレビューである。いわゆる査定だ。予め査定関連の情報は周囲に質問として投げかけられていてこれらについて皆メールで返事をしている。したがった査定されているのは周囲からという見方も出来る。上司は、それらの情報を収集して公平な裁定を下すわけだ。予め、上司の書いた査定結果のレビューレポートがメールで届いていた。時間になり上司に電話すると、繋がらない。セクレタリーに電話をしてどうも何か急用でいないらしい。セクレタリもVPである彼の居所は不明らしい。明日の朝に持ち越しとなった。

日雇い生活の改善のために出来ることは想定されることの事前回避の為の情宣活動や執筆活動らしい。こうした私への改善項目の要望もパフォーマンスレビューには記載されている。さあ、今日金曜日の京橋から始まる週末はどんな一日になるのか。果たして明日の朝は自宅にいるのだろうか・・・。

業界独り言 VOL126 最初は小粒で・・・

山椒は小粒で・・・が正しいのだが、最近の携帯電話では最初から巨大なのだ。日本 のハイテク機器全体がそうなのだろうが、新製品で新分野に出るものは機能が唸るほ ど入っていて良くわからないものが多い。次の段階の製品でコストダウンを考えつつ 機能シュリンクをしていくという流れは何時の頃からか定着しているようだ。最初の 製品でピリっと効く所があれば、広がっていくのではないかと思うのだが・・・。
 
実際の端末価格が、顧客から見えないように補填されて提供される通信キャリアで扱 われるハイテク製品・・・それが携帯電話である。ユーザーの価値は当初の購入価格 と以降のランニングコストである。幸いにして現時点での激しい通信キャリア同士の 競走の渦中ではユーザーがメリットを享受しているのだろう。通信トラヒックが溢れ て新機軸を打ち出さざるを得ないキャリアと、先行されたキャリアを追走して差別化 した新機能で追い打ちを掛けているのが現状だ。
 
開発技術者同様に、通信キャリアも疲弊している。開発依頼する内容が高度化してく る中で新製品開発での仕様検討なども、標準化作業などとあわせた形での通信キャリ ア間の調整活動なども含めて目白押しだからだ。彼らの評価は、新規契約数の追求で あり、結果が出ない端末の開発依頼は尻すぼみだ。各キャリアともに新しい未来に向 けて見えない方向を模索している。ドッチーモと同様な戦略で複合電話機がまた開発 されている。
 
デュアルモード機が、登場するとは思っていたのだが何故かWCDMAとの両用機ではな く、シティホンとの両用のようだ。確かに米国などではアナログ携帯との併用が当た り前なところもあるので不思議ではないのだが、全米をカバーした利用形態にあわせ るための策でもあった。日本では、そうした必要性は無いはずなのに、あえて狭い範 囲でしかサポートの無いシティホンとの両用機を出すのか。都市部での周波数不足問 題を解決するというのが目的なのだ。言い換えると、これが達成できると当分WCDMAの 必要性がなくなるのである。
 
二つの電話機の機能を足し合わせて倍のハードのコストにはならないのだろうがテス ト項目は倍以上になるのだろう。最近では、PHSもデータの目的として十分な存在 価値が出てきているのは、FOMAなどでのコストが明確になってきたからでもあろ う。収容能力を高めて収益力を高めるという目的で開発されてきたFOMAではある が、PHSや無線LANという範囲での応用が広まってくるなかで期待していた収益 力という背景は変容してきているといえる。
 
テストの効率化を図る為に自動試験装置の開発を行っている知人もいる。キーボード を物理的に押したり、液晶画面をカメラで捉えるというまさしく鉄腕アトムに仕事を 手伝ってもらうような機能ではどうかと思っていたら、液晶コントローラへのバスを キャプチャしたり、若干のソフトウェアの介入を行いシリアルでキーボードのイベン トを挿入するといった工夫で対応されたりしている。これならば、不確実な大規模な ソフトウェアのテストを確実に進められるのではと納得させられるものであったりも する。とはいえ全てのテストが解決するわけではなく繰り返し性の高いテストには向 くものの感性に訴えるようなテストについては人手が必要なのである。
 
当たり前と思ってきている機能にも、疑問をさしはさむ余地があるのではないかと感 じることも多い。携帯電話のソフトウェアの複雑さを考えると触りたくない部分もお おいようだが。DVDレコーダを購入してビデオ代わりに最近では活躍してもらっている のだが、最近のAV機器はパソコン以上に未完成交響曲を演奏しているようだ。確かに 色々な機能があるのだろうが余りにも増えすぎたソース(入力)に対応出来なくなって いるようだ。
 
さて、マリリンマンソンの出演していた今年の夏のイベントの再放送がデジタルBS で行われていたので恐らくとりを勤めている時間帯を狙って高画質で録画しようとし たのだ。むろん流し撮りもしたいのでアナログのビデオで三倍にして全体も取ろうか と考えた。しかし、実際にはデジタルBSの再生出力は、デジタルレコーダであるD VDレコーダにのみ結線していたので、AVアンプでビデオ同士のダビングモードに してアナログ側でも録画が可能になった。
 
落とし穴は次にあった。高画質モードで録画しようと考えた最後の時間帯を狙っての タイマーが仕掛けられないのだ。タイマー録画をセットするとビデオのダビング回路 までもシャットダウンしてしまうのだ。従来のビデオの概念で言えばタイマー録画と いうものは、そうしたものであったのかも知れないのだが色々な世代の機器が共存す る中で果たす役割というのは、新しい機器の機能がその橋渡し役だったりもするので こうした矛盾に遭遇する。ソフトウェアの制御でいえば、ダビング機能を利用してい るクライアントがいる場合には、電源切断をしないようにするためには、オブジェク ト指向的な考えで設計しておくことが大切だったりする。
 
他方、そうした設計手法で開発されたモジュールを従来の概念でしか設計できない人 から見ると理解しにくいというクレームに繋がったりもする。まだまだDOS的な考 え方での設計が組み込みでは主流をしめていて、Windowsのようなイベントやコールバ ックといった概念での設計にはなり得ていないようだ。デジタルAV機器ということ で需要を喚起しようとしている電機業界なのだが沢山存在している各ユーザーの資産 との共有を図りつつ使いやすいものを提供していくためには、まだまだプレークス ルーが必要だと感じる。
 
「そんなことも出来ないの・・・」と冷たくあしらわれてしまう最新型のデジタルB Sテレビやレコーダ達を見ていると開発の裏側も見え隠れするために「しようがない な」と一人思ってしまうのは間違いなのかも知れない。何かまだ革新が足らないのだ ろう。次世代携帯という契機に、こうした革新を確実に進めていきたいと思うのだが 山ほどもある機能リストに埋没されている現状も見えてきて、支援するポイントを模 索している。
 
体制の刷新やらプロセスの改善やらというのが、各メーカーでは前にも増して表に出 てきた。知人の名前がマイコン開発センターの所長という人事通達として新聞に載っ ていた。四半世紀オリジナルマイコンの開発に費やしてきたことを知っているものと して、彼がこの時代のなかでどのようなコンセプトのマイコンやソフトを繰り出して くるのか楽しみでもある。お祝いに茶菓を送る事にした。所長さまならば部署は明確 なので届くだろう。