e-Tax つれづれ

「簡単だねぇ」と大沢親分に言われて導入する人がどれほどいるのかどうか不明なシステムがe-Taxである。ともあれ、年に一度の面倒くさい行事確定申告が簡単になるはずもない。e-Taxを導入するのには何が必要かといえば個人認証を行う納税者カードのようなもの(住民基本台帳card)を発行してもらい、これを入手をする必要があるのだ。国民総背番号制なんてものには、とっくになっていのだがカード自身は配布されていないのである。何に使うのかといえば、免許を持たない人の身分証明書には使えるようなのだが、使い道ICカードゆえに期限もあり個人特定の認証が目的となっている。これがあれば、実印も印鑑証明もいらなくなるようなもののはずなのだが一向に普及する気はない。ちなみにカードの発行には500円が必要であり、発行を受けるためには、当然、最寄の区役所まで出向かなければならない。

写真付きの身分証明書としてはハムの免許とパスポートしか持っていないのだが、三年前に再発行してもらったアマチュア無線の免許証を出しても話がこじれそうなので、一般的な回答としてのパスポートを提出した。10年パスポートの九年目に入っているところなので、実はアマチュア無線の第二級免許の写真のほうが新しい。電話級の免許となると中学生の自分が写っているのでこれを出しても始まらないだろう。身分証明書としての使い道には写真・住所付もできる様なのだが危ないのでそうしたものは増やさないという方針でいる。証明書はひとつあれば沢山であり、住所や名前・写真などがわかると厄介な事件に巻き込まれかねない。無論亡くしたときの想定だが・・・。カードを扱うためのcardリーダーも当然必要でヨドバシなどで3000円ほどで買い求める必要がある。またcardに書き込まれた情報を個人認証サービス局にPKIのペア鍵を書き込み運用できるようにしなければならない、ここにも費用が500円ほどかかる。この電子証明書の期限は三年間ということである。実は、住基カードの期限もありこれは10年である。まあパスポートと同じということかも知れません。

税金を払い込むためにお金を投資するということには不満のあるかたも多いでしょう、払ってやるから取りに来いとはいえないのは国民の義務だからですが、果たして払い込んでいるほどの恩恵を受けているのかどうかはまったく不明です。相互扶助という意識でなければ折り合えないのが実情でしょう。毎年自分の誕生日あたりから税金の手続きの話の時期に入ります。ちょうど一ヶ月ほどですが、今回は二週間の出張が挟まったのでこちらでeTaxをしようかとも思ったのですが、カードリーダーまで持ち込んで米国から納税手続きするのは異常でしょう。ともあれ未だ0.1%ほどの普及率ということですから電子政府には程遠く、掛け声と現場の乖離ははなはだしいものです。手続きを簡素化して事務合理化に貢献しようということでの理解認識のもとに訪れる役所の対応などにはいちいちいやになってしまうほどです。そんな役所との付き合いが薄まるという意味ではよいことだろうとしてしか認識できないのでもあります。公僕という言葉をまずは、子供時代に正しく教えないと五時に帰る首にならない世界という認識の子供が大人になり悪循環をまわすだけのような気がします。

私の払い込む納税がほかの必要とする方々に還元されるのは、私の望むところですが、意識のない公僕ならぬ日本株式会社の方々の給与支払いに回ってしまったりしているのではないかという疑念が増えていくばかりです。ともあれ、株価での所得にしろ、給与での所得にせよ公明正大に払ってやろうじゃないかというのが私の生き方だったりしています。また、株価が高騰したので高め設定にしてあったストックオプションや社内持ち株などが売れてしまいました。円安の時期だったのでこれはうれしいです。還元する額が増えて国民の義務が果たせるのはありがたいことです。

三連休をつぶして、三連休の街に阻まれて

日本での三連休は、先週のことで、今週は米国が三連休なのである。

日曜のフライトで飛んできて月曜からの仕事をしているので、日本での休日を一日つぶした勘定になる。

でもって急に出張が延長になったのだが、今度は、米国がプレジデントデーで三連休となる。時期的には、旧正月とかぶる時期でもある。

やった・・・と思うのは早計で、街こそは休みの只中にいるのだが、日本は日曜の午後からは起きてくるのでメールの嵐と対峙しなければならないのである。

まあ支えになるのは脳天気ともいえるカリフォルニアの青い空である。こんな天気のサンディエゴもあるかと思えば、ボストンにいる知人は雪がふり路面凍結で思いっきり背中から転んだらしい。はてさて日本は、雪もないまま冬を終わるやに聞いているのだが・・・。

カリフォルニアの通勤風景

業界独り言 VOL335 効率化とゆとりは共存するのか?

いわゆるニッパチの季節ではあるが、最近ではチョコレート業界の後押しも功を奏して景気はいかがなものかと思う、今日この頃でもある。節分の売り上げも単なる豆だけではなく太巻きのメニューも加えたり、月間のアイテムとしてイチゴの季節であると訴えたりと情報操作に奔走しているようだ。さらに最近では放送業界の番組なども通じて人心を惑わせるという技までも繰り出されているということなのだが、さてポリフェノールは無罪だったのだろうか。衛生管理という基本中の基本をなおざりにしてきた会社だったのかと思わせる驚愕の事実などが明らかになったりして「見る」チョコレート効果はマイナスになっているのかも知れない。

端末開発という仕事を進めている流れの中で、遭遇してきたコストが合わないという現実を直視しているメーカーが多いのは事実だろう。また、そうした中でコストダウンを進めようと苦心惨憺しているのも事実だ。開発コストダウンで下請け叩きをしても始まらないのだが、結局仕事が回らなくなってきたところから切り捨ててというよりもプロジェクト自身が切り捨てられたりしている惨状ともいえるだろう。複数のキャリアにうまく自社のデザインをフィットさせようとしている会社もある。キャリアの仕様など鼻にもかけずにマイペースにものづくりにまい進しているメーカーなどは国内のメーカーではない。国内キャリアの複雑高度な端末仕様がクールな文化だという意見もあるのだが、クールな文化として感じ取る以前にビジネスとして始まらなければ話にならないのでもある。

ひとつの方策が最近二番煎じまで登場してきたキャリア自身によるデザインの推進である、国策として単にRUIMの互換性が課題だといっている脳天気な政府もいるのだがキャリア同士のサービスの競争を続けてきた流れに目を瞑って話をしても意味がない。懸命に国の援助も受けずに自らの投資を行いコストダウンにまい進しようとしているのである。サービスを競争させる中で端末の差別化でなくサーバーとしての差別化に走れというのなら、まだ納得がいくのだがそんな視点があるわけでもないし、P2Pで様々なサービスを実現していくことこそが時代の流れとも思えるのに、サービスと端末価格のバランスをうまく実現させようとしているキャリアの努力などを理解しないままの無策な政府提案だといえる。

結局、余計な仕事をしないで共通仕様の端末ベースをうまく作り出した上で、各通信キャリア同士の仕様競争と、端末メーカー同士の競争とを実現していくうえにはリーズナブルな方策のように見える。問題は、端末開発経験というものを本当の意味で通信キャリアが体験する中で遭遇する困難をいかに乗り越えるのかという点になると思われる。通信キャリアの実力が問われるということでもあり、また利権うごめく中での物づくりの上でIPを尊重しあいながらプラットホームとして完成させていくという仕事には多くの課題が横たわっているといえる。 同床異夢とまではいかないまでも、メーカーは異なるキャリアに対応を同様にしたいものであり・・・・。

今の仕事と、これからの仕事・・・そんな掛け声をかけながら方向を精査しながらの開発スタイルという本来の姿としてギアが入り始めてきた。とかく今の話を追いかけすぎだった時代から考えるとゆとりといえるだろうし、そうした中で効率化を果たして生きたいという思いにも注力することになる。責任分解点を明確にしようということも新しい流れだ、自分の領域を確保しながらインタフェースを明確にして境界面を厳然とOSと構造で分離した形にするというになる。下手にやると、どこかのPDA用のOSのような顛末になってしまう。モジュール化した強固なコンポーネントで構造を作りこむことで、Openなインタフェースな世界を構築することが望まれている。適当なソースコードを開示して適当に修正を許容するような姿ではなくIPを担保したうえでインタフェースがオープンな世界ということになる。

なにぶんにも開発費用を捻出できるのはビジネスモデルを確立している人だけであり、そうした人たちが無為な金遣いをしないことが、ゆとりを生み出す効率化につながる仕事のスタートだと思うのだが、とかく現状肯定に走ってしまいがちな狭い視点の業界経営陣が多いことが課題なのだろう。政府を使って馬鹿な政策を振り回させることで、自分たちのことにプラスにつながると考えているのだろうか。そんなおろかな幻想を政府に抱くことがすでに間違っていると思われる。さあ地道にまっとうな仕事をしようや。しかし地道な仕事をしていても後ろ指はおろかスケープゴートにされてしまうような現実の政府や官僚の中で、がんばっている藤田東吾さんのようなまともな感性をみなで共有したいものである。

業界独り言 VOL334 新築そっくりさん

知人であるM氏は、大手電器メーカーでソフトウェア開発を多年に亘って携わってこられた方で、最近ではCMMIなどのソフトウェア品質改善活動などの枠組みを全社的な活動にする事務局などもかって日本あるいはアジアを飛び回っているらしい。大学は、もともと京都大学を出られているのだがあまり京都の町に造詣はなかったらしい。そんなM氏としばらくぶりに食事をしたのは、大阪地区・中国地区への出張が続き大阪泊まりとなることがあったからでもある。彼は、学生時代からいつかはもういちど京都に住みたいという思いを持ってはいたようで、それまで住んでいた奈良の地を離れて最近は京都の北のほうへ居を移したということだった。築70年近い建物の壁や柱などに直しをいれてあるということだった。その家に帰り着くには、出町柳駅から自転車で25分ほどかかるということで健康的な生活でもあるらしい。関西の方ならばご存知のように京都の北というのはだんだん山に向かっていくという地形なので帰りに25分かかる道は行きには15分ほどで済むらしい。

さて耐震偽装などが明らかになっている現在では、中身を見える木造の家をさらに改築してすんでいるというのは賢明な選択でもあろう。建築では設計確認申請という手続きの合理化・簡素化といった観点から強度計算などの仕組みをツールチェーンで提供する枠組みを国の認定で提供するという革新的なことになったのは大規模な地震などを経て建築設計に関しての強度評価ということを国として基準を改定したうえで確認申請をツールで行っていくということになったからでもあるらしい。そうしたことで新たなビジネスが生まれていき、昨日紹介したイーホームズのような民間審査を行うことも出来てきたのだろう。まあ人間が設計している内には感性としての閾値やアナログ的な視点が残るのだが、そうした作業がツール化されてしまうと実態として行っている部分が隠蔽化されてしまい感性が失われてしまうというサイクルに陥るのはいたし方ないことでもあろう。想定しないケースで別の目的で悪意を持った使い方をすることで経済設計ということを評価するような事態はともかくとして、強度不足の感性を持ち得ないということは最近のツールまみれの技術者に共通のことかも知れない。

さてソフトウェア開発の大規模化の流れで、全貌が見えなくなってきたということが最近のソフトウェア開発では共通認識となってきてしまっているようだ。こうしたソフトウェア開発からものづくりの見直しを図って位置から再設計しようなどということを受け入れてくれる幸せな余裕のある、あるいは実際の商品化など念頭にないような仕事など出来ようはずもない。無論、エンジニアの方々はいずれ機会があれば、そうしたことに取り組みたいということも共通認識として持っておられるようである。しかし、そうしたことで得られるメリットと現在のビジネスモデルの中で許容される開発投資のバランスをみれば新築そっくりさんとして手を入れていくということになるのであろう。ただし、丈夫な骨組みで作られたふるい家を新築そっくりさんで変えていくということ、改築改築で出来上がった熱海の楼閣のような状況に手をいれていくということには違いがあるのだと思う。

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