私の知り合いには沢山のヒロシさんがいる。昔の歌ではないが、キーボードの似合う人が多いようだ。昨年の最終日には、わが導師である宏さまからのご参集がかかり忘年会と相成った。昨年同様集まった神田の鳥料理の居酒屋は、当日が最終営業日となり閉店されるとのことでもあった。厳しい世の中の反映ではあるが、店員の方も明るく頑張って勤めているようだった。ソフトウェア技術者として導師と尊敬する宏さまは、PCの世界をある意味で背負って立つ御仁でもある。
導師を慕い集う仲間は、ソフトウェアのユーザーであったり出版サービスであったりはたまた中華料理屋も副業で営んでいたりと様々な人たちである。「この業界をなんとかするんだ」と息巻く元気の良い技術者もいた。導師とのやり取りは、その後の三次会までもおよび立ち飲みをしつつ最終ラウンドは京浜東北線にまで持ち込まれた。鶴見までの年末ラッシュアワーの中でも決着は見なかったものの彼は技術書の翻訳を自分で進めているようでこれをベースにマトモナ本として、これを書き上げようとしている。
携帯電話業界にあって若手の育成をしつつ先端のソフト開発に携わっている裕さんがいる。横須賀までの遠距離通勤も実は横横道路で海老名近くから夜中に突っ走りつつ通勤されている。かつては半年かけてアセンブラで開発用のクロスアセンブラを開発していた裕さんではあるが、最近ではUMLで書かれた通信プロトコルの開発をしている現場への指導をしているようだ。勉強は常に必要なのがこの業界なのである。夜中には気がつくと自宅についていると豪語するのは手足を既にプログラミングしてしまったロボットにしているようだ。