VOL99 デジタル無線の巻き取り 発行2001/4/19 米国

米国でのトレーニングセミナーを終えた。新たな機能を盛り込み性能の話題が尽きないチップだったが、十分な性能を展開できることが明らかになった。これは、ビールのオツマミにも十分合いそうな状況である。日本で起こっている、新たな機能競争との接点で新機軸をも組み込める可能性も出てきた。

マルチチップにしなくても十分な性能を出せるということは、素晴らしい事だ。こうしたソフトとハードの両面を追求した物作りが日本では出来なくなってしまっているのだろうか。実証主義として実動作をさせて性能余力を検証していく姿は内部で見ていても中々のバランスである。性能は出来るだけあげておいて・・・という手合いのソフトウェア技術者が多くなってきたのは全体の風潮である。ただし日本だけではないか。

ソフトダイエット大作戦に向いた施策として中間コード形式の利用が功を奏しそうだ。実際にOSとして採用したものがC言語開発よりもコンパクトな容量で応用を見せ始めているようだ。マシンが高速になってきたことの裏返しともいえるのだが、高速になった性能をソフトウェア屋さんが勝手に使いきっているという声の多い昨今のハードウェア屋さんからみると痛快な技術である。

JAVA狂想曲が流れている現状からは、ハード屋さんはコストダウンという観点から離れてしまっているソフトウェア屋さんの状況との付き合いで疲弊してしまっているのだろう。ソフトウェア屋が間違いを侵さずに納期に仕上げるということのみに注意を払うようになってしまったのは誰のせいなのだろうか。あらたなオツマミを用意してビールでも呑んで貰うしかないのだろうか。

米国では、携帯電話でもないデジタル無線が日本とは違って結構普及している。大ゾーンをカバーできる広いエリアとグループ通話などのシンプレックスという通信形式が安価にサポートできているのが売りのようだ。タクシーの運転手がもっているのは、こうしたデジタル無線である。これから電話も掛けられるのが味噌でもある。同様のデジタル無線は日本でもあるらしいが・・・。

社名自体が次世代電話という、このデジタル無線を運用している会社も昨今の第三世代という変化の中で変貌しようとしている。独自の技術で大ゾーンをカバーするデジタル無線ではあったのだが、機能不足などアプリケーションよりの話が出てきたのだろう。かつて無線では世界一を標榜していた会社の技術だったのだが無線から携帯への移行でこの会社も埋没してしまったようだ。

次世代電話という会社が選択した技術は、CDMAである。この技術は潰しが効くようで設定パラメータ次第で大ゾーンの運用が出来るようになるのだ。実際問題として、すでに100kmというサービスエリアで利用実績を広大な豪州では達成したらしく、こうした実績も採用の条件だったのであろう。さらに、無線通信につきもののグループ通話という応用は既にIP通信で達成できていることから話が急展開しているようだ。来年にはこうした移行が本格化する。

日本での同様な業界では、利権争いに終始しているようだが、米国で同様な物を利用している姿と何が異なるのかはよく判らない。CDMAという携帯電話が特殊用途と見られていたデジタル無線すらも巻き取ろうとしている姿には、携帯電話で始まろうとしているプラットホーム化の実現などが、これからの展開に欠かせないことになろうとしているのだと思う。

同様な周波数帯を利用しながら、利用率が上がらないデジタル無線の現状を前にしていると携帯電話で逼迫した事態とのギャップがより強く感じられる。ビジネス用途ということに限ったデジタル無線のあるべき姿としても価格破壊とサービス改善の両立を果すべき時期に来ているのだが、今までの延長上で技術開発をしている事に誰もクレームをつけないのは何故だろうか。

サンディエゴ通信 VOL5 忙しく長い一日 

発行2001/4/18 米国

月曜である。ラッシュの時間帯を少しさけて早めに会社に向かう。8時半過ぎには会社に到着した。週末に予定されていた恩師の叙勲祝賀には参加できなくなったので記念品の費用を事務局に送付すべく隣接の赤坂郵便局にむかった。9時には窓口が開設され現金書留で送付をした。説明の手紙は電子メールソフトで書き印刷して封入した。まだ振込み費用を電子メールで添付する方法論はない。 引退されている先生への手紙も予め送付したかったが時間がない。同窓会名簿に記載の住所を転記して自分当てにメールで送付しておいた。空いた時間に現地から手紙を書くことにしていた。Gooによれば、レタックスの代行サービスというものがニフティにはあるので、これを用いれば電子メール的に書いたものを郵便のサービスとして封書にして送付してくれるのである。引退された先生がメールなどをされているのかも知る由もなかったのでとりあえずこれで落着である。 机に戻っても、まだ、月曜日には特に電子メールが届いている様子も無い。まだ向こうは日曜日なのだ。限られた時間を使って新しいビジネスチームと情報交換を行う。上位層のアプリケーションビジネスを支援するという新チームリーダが米国から戻ってきてようやく日本での仕事が本格始動する。我々が手がけてきたアプリケーションよりの幾つかのフィーチャーが彼らの手に委ねられることになった。端末メーカーとの付き合いしかなかったQUAD社にとっては、新ビジネスにより新たな局面やサポート内容の刷新が求められることになりそうだ。 打ち合わせを午前中に済ませて、昼一番の成田エクスプレスに乗り込んだ。週末まではサンディエゴでの仕事になる。翌週は、直接お客様の訪問も予定しているのでタイトなスケジュールだ。TCATでのチェックインが出来なくなり成田でのうんざりする長いチェックインの行列をすることになった。便数の少ないNWではビジネスクラスのチェックインも溢れていた。出国審査自体は空いていたのでゆっくりとラウンジで休憩が取れた。 ビジネスクラスでの旅行は、到着当日にすぐ仕事に移る余裕が出来る。しかし、最近の電機業界ではビジネスクラスを利用しない緊縮条例がまかり通っているらしい。開発費用だけではなく出張費用も絞り込んでいるようだ。隣席の御仁は、NECの方であったが、「今回は、委員会活動のスタッフなので特別です」と語ってくれた。会社では部長さんなのではあるが・・・。少し分野の違う同士ではあったが、その分話が弾み機内で映画を見ることも無かった。「現地からは、車で一時間の運転です。」と語ってはくれたものの電気労連の別の会社では運転禁止だが、通信の雄のこの会社はOKだった。 ロサンゼルス空港では、コネクトすべき飛行機には乗れなかった。ロスの空港でのチェックイン行列が物凄く、またトラブル続きの乗客ばかりでカウンター自体が閉塞状態に陥ってしまったためである。様子のわからないアジア人が大半の場合トラブルの源である。クレームを付けても列に戻るようにしか言わないのは、たいしたものである。皆乗るべき飛行機に乗れなくなりそうなのでクレームを言うのだが全員がその状態なので押し戻されるだけなのである。 唯一の例外は、間違えてファーストクラスのチェックインカウンターに並ぶことでカウンター担当者に指差されてエコノミーのカウンターに回されるケースになった乗客であるが英語の判らない振りをして確信犯なのかも知れない。この場合には航空会社側の対応では、「エコノミーのカウンターに行け」としか言わないようなので美味い方法かも知れない。長蛇の列も、この「特別例」としての扱いに不満をなぜか言わないのだ。 長蛇の列に閉口してはいたものの、自分の番になりもはや自分の飛行機の出発には間に合わないのは判っていたのだが・・・。開口一番、向こうから「長い列でごめんなさいね」といわれてから「あなたの飛行機は二時間後よ」と言われたのだが、先に予定外に謝られたので飲み込んでしまった。文句をいってもはじまらない。結局四時間あまりロサンゼルス空港に滞在する羽目になった。おかげで、国際電話のコーリングカードの使い方をマスター出来て、米国内での電話において小銭の心配をしなくてよくなった。 昼食は空港内のバーガーレストランで済ますことにした。現地でフードコートのチャイナにしようと思っていたのだが時間がなくなってしまった。野菜サンドとオニオンフライを頼んだのだが、例によって山ほどのフライがやってきた。近くのテーブルをみると事も無げに皆、そうした量を食べているようなのだが・・・。野菜サンドのボリュームも迫力があり、これだけで実は十分だった。 サンディエゴ行きの飛行機待ちをしていると日本からの家族旅行の風情の人達がいた。子供二人とご両親で、時差にとまどいつつという印象だった。どうやら、同じ飛行機らしく「私は窓側だわ」とハシャイでいた。家族で指差している先には、ふのブンブン飛行機が到着してきた。乗り込み、後方の窓席から前を見ると例の家族の人達の座席番号に違う人達が座っていた。座席リコンファームの問題などがあったのか結局最後部の4人掛け一列を空けて家族で座ることになった。チケットには大きくYのマークが書いてあったので、そういうこともあるらしい。 相変わらずの抜群の青空の下、海上をブンブン飛行機でゆくのにもすっかり慣れてしまい、転寝をするくらいになってしまった。オレンジジュースの配給を受けて眠りから少し我に返るともうすぐに足元にはトップガンのミラマー空軍基地が広がっていた。サンディエゴの上空であった。サンディエゴの市内上空を旋回しつつ空港に向かって高度を下げていった。空港に降りると、私より先に行ってしまった荷物がちょこんと私を待ち受けていた。 小型のサムソナイトにいつものデイパック一つであり、ひげを蓄えた国籍不詳の客に見えるらしいのかタクシーの運転手は、幾つかの言葉を掛けてきたが、幸いにも日本語も含まれていた。乾燥した天候の良いサンディエゴの風景は、いつもこのタクシーで北上するホテルまでの道でいつも気持ちよく迎えてくれる。モルモン教の教会の白さはいつも目に眩しい。 昼を大きく回ってしまっていたが、月曜の夕刻には日本・韓国・中国・米国と各出先事務所のエンジニアを招集する電話会議が行われるので、ホテルでゆっくりもしておられず、そそくさとまたタクシーに乗り込みオフィスに向かった。車では五分とかからずに到着する。会社で発給されている自分の写真入のIDカードを翳すとドアのロックが開いた。早速ボスの部屋に向かいお土産の薄皮饅頭を一つ御裾分けしつつ、状況報告をした。半ズボンとアロハが彼の制服なので、私のユニクロ姿は、むしろ堅いかも知れない。 自分のオフィスに向かうと日曜に出発した同僚は到着して仕事に入っていた。マシンを広げてメールを読み出して資料に目を通している内に、会議の時間となった。いつもは電話の先に居るのだがこちらから参加すると違和感がある。韓国のメンバーもこちらにきていたので電話の先には中国と日本の二箇所である。最新技術情報の紹介をしてもらうべく呼んだ仲間を囲み、コーラやミネラルを飲みつつ新技術について聞き、通常の国際会議に戻り、結局二時間の会議を行った。 少しオフィスに戻って仕事を片付けていると9時半近くになっていることに気が付き慌てて、同僚とホテルに車で食事をとりつつ戻ることにした。日本であればここからラッシュで一時間以上かかるところが5分たらずでホテルに着くのは、快適である。ホテル近くに新設されたレストランにいくことにした。何の店なのかは入るまでは判らず近づいてきたときには陽気な音楽だけが聞こえてきていた。実は彼の苦手なメキシカン料理であった。 陽気なサンバのリズムなどを聞きつつ肉料理をトルティアに包みつつ長い一日を思い返していた。ここでいつもお世話になっているコロナビールを飲みつつ少し残っていた時差を解消すべく酔いに任せていた・・・。明日は半年に一度の査定ミーティングなのであるが、アロハのボスとのミーティングはいつも肩に力は入らない。気軽なものである。

VOL98 作り直すということ 発行2001/4/16

新たな技術の提示を行う説明会を開催した。当初の予定ではコンテンツプロバイダをも対象にしたもの大々的なものにするはずだった。しかし、実際にはキャリアへの説明が不足していた事から、まだキャリアが採用を決めていない技術について、関連するコンテンツプロバイダを召集するのは時期尚早だった。急遽メーカーのみを対象として技術の説明を行った。

CDMAの端末メーカーに対してデモしたのは、QUAD社から技術パッケージで提供しているソフトウェア拡張による物で、サウンドとテキストと静止画が制御できるフォーマットとそのプレイヤーの技術である。既にカラオケなどで利用されてきたのであるが、今回の版ではアニメーション機能と効果音の機能が追加され簡易な動画仕立ての広告までもがコンパクトなデータ量で実現出来るまでになった。

この技術については、日本のメーカーとQUAD社には確執があった。昨年提供された、初版の技術提供に際して日本のメーカーの実装での性能評価が十分でないという状況があり。各種カスタマイズをしてきた日本のメーカーでの適用との接点ですれ違いが生じていたのである。漢字表示や高機能な各種アプリケーションが当然といった状況の日本とテキストベースで済んでいた米国のそれとではCPU処理の量に差が生じるのは致し方なかった。

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VOL97 NDAと情報公開 発行2001/4/9

日経某の記者の方々からのインタビューを受けた。その内容には会社人としての私に求められているものなのか個人としての私に求められているものなのかは、曖昧な点があった。前回のバイトの場合は、メーリングリストからの咆哮を意見として掲載したら・・・という師匠からのアドバイスがあったのが背景であった。

現在のQUAD社という立場で認識している各開発メーカーの事情と背景から、ミドルウェアの開発提供などの方向性を導出してきたのは別の事由によるものだった。CDMAの技術をチップとソフトウェアとで提供しているとしても開発メーカーとの間のNDAに含まれるCDMA制御といった部分と上位のアプリケーションの展開での情報公開が入り混じっていたことにより開発メーカーに混乱を生じさせたのが理由である。

iモードの登場は、CDMAの登場による脅威やWCDMAへの布石として溢れたトラフィックをパケット通信で解消することなどが、戦略目的だったのだろう。その目的は、十二分に発揮されすぎて次世代携帯が霞んでしまったかもしれない。みな愛のサービスで圧縮された情報よりもメールの恩恵の方が有り難かったようだ。専用ビジネス端末業界の巻き取りを果たすことが愛のサービスの副次的な効果でもあったろう。

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VOL96 元気が何より 発行2001/4/4

桜の花びらの中、新人然とした未だしっくりとしないスーツ君たちを囲んで青山墓地では昼食タイムの花見が繰り広げられている。墓地参拝の人も行き交うなかで芝生や参拝道に青いシートが広げられ、幾人かは墓地の縁に腰掛けている不届きものもいるようだが・・・。伊藤忠のビルに続く墓地横断の参道沿いには屋台も並べている。

ときおりの強い南風が、変わりやすい春の中でも暖かい中で気持ちよくさせてくれる。近くの店で買い求めた寿司弁当を抱えて仲間との昼食に出てきた。日曜日には不届きものだらけだったという墓地も中にまで進んでいくと広い芝生のスペースでゆったりと食事が出来た。最近、オフィスを関係会社との共有を始めた関係で窓付きの昼食スペースを一つ潰されてしまったので窓のない部屋での昼食続きだったこともあったのだが外での昼食はまさに開放的だ。

新人達の季節と桜の季節がマッチするのかどうかは日本人の感性の問題でもあるがバックトゥザスクールが秋となるのも勉強を始めるのには合っているようにも感じる。夏休みをゆっくり遊んでもらうのは良いことだと思うが、いかがなものだろうか。とはいえ、会社では定期採用という制度で採用するほどでは無いにしても毎月のように拡大しているのが最近の状況だ。毎週のように最近では内線番号リストが増えている。

メンバーが増えると同時に仕事も新たなタイプの新人が増えてきている。新しいタイプの仕事は当然異なったお客様が対象となってくるので今までとの延長で片付かなくなってくるものである。自分達の仕事のプロセスを改善しつつ責任と権限の委譲をして分担するようになってくる。採用というプロセスには、ようやくウィザードのようなスーパーレディまで登場しそうな状況も起こり始めている。優秀な人材が飛び出てくる会社のプロセスには心配だが・・・。

それぞれの仕事が米国との協奏により成り立っているので、色々な案件の同時進行という中では確認の精度が求められる。担当の営業マネージャに依頼したつもりがメールのみだと気が付くと彼は中国の会議にフライトしていたりする。それぞれの人の状況もスケジューラで内容を確認しつつ対応する事が必要だ。気軽に引き受けた内容が実際には、頼んだ本人は本社の人間と別件に当たって不在だからお願いね・・・といったトホホな内容だったりもするが。

色々な開発テーマに対して戦略を立ててリソースアサインしていくのはどの会社でも同じであり、変わり行くユーザーニーズを押えずに自分自身の変革をしなければ取り残されてしまう。開発が出来てもコストが引き合わないのでは、それは開発が出来たとはいわない。開発をしなかったほうがよほど前向きである。体面だけで進めてきた開発の不良債権のようなものである。

そうした中で、戦略も刻一刻と変化していくものであり、そうした流れを理解していかないと疲れることにもなりかねない。韓国の方ほど血が滾ることはないが、日本人は乗りやすいので乗った船が出ないといらついてしまったりすることに陥りがちだが、ここは外資の仕事であり論理的に切り離し心の健康を維持できるように努めなければならない。元気がなによりである。

お客様たちの新体制の情報も新聞などから入ってくる。新たな大型研究所の建設にまい進しておられる元気な会社もある。力不足を補うために有力技術者を他事業部から引き抜いてきて強化しているケースもあるようだ。抜擢された技術者は優秀なだけに彼らのモチベーションを維持することは開発プロセスなどの要因で負の方向に向けられるともとのモクアミどころかビーイングされたりトラバーユされたりする可能性も高い。入れ物を作る前にプロセスを高めていくことについては釈迦に説法だが・・・。

VOL95 新年度が始まる 発行2001/4/1

携帯電話のソフトウェア開発の問題がクローズアップされるようだ。業界独り言で咆哮するだけでは、いけないらしい。といっても各メーカー殿で進められている現状から脱却するまでの影響力があるのかどうかは別だ。いってみれば、総理の訪米で外国の大統領から「苦い薬は、早めに呑みなさい」と言われるようなものだ。

業界雑誌である隔週発行の例のものからのインタビューである。良く判らないが指名をいただいたらしい。インタビューには指名料は不要であるし。会社としての取組みの中でチップ提供の会社ではあるが、昨今のミドルウェアの事業化などの取組みが評価されてのことであるらしい。多くのメーカーの実情を知るものとして差し支えない範囲での問題意識を紹介するのが対応の背景でもある。

業界でのこの雑誌の占める位置はわからないが、最近では開発ストーリーとして各メーカーの革新的な製品開発の裏舞台を紹介しているのが流行しているようだし、逆に業界内部からは美化しているとして嫌われてもいるようだ。横並びの姿の業界の中で革新的な話が表面的に出てくることはないものだから聞いた話での範囲で革新的な事由があれぱ紹介をしていこうというのが誌面のスタンスでもあろう。

革新的な話でいえば、CDMAが出てきた時の誌面は扱いとしては苦慮しつつの内容であったろう。二度目くらいの特集において、たまたま誌面を当時PHSの開発で苦労していたときの開発スタイル革新について書いたのだが、表面的な内容にのみ反応をいただいたようだった。シミュレータの精度向上と共に実用化の域に達してきたことを示したのが目的であり、RTOSのシミュレータを開発環境に作ったりしての開発の階層化あるいはパラレル開発に取り組んできたことはあまり業界の方にはも、止められなかったようだ。

要は、皆が意識していないときに書いても注目も影響もされないというのが実情なのだと思う。今回の携帯開発でのソフト開発方法論についての問題は、皆が意識しているだけの大事件が起こり、ソフトウェアの開発での問題が世間の携帯バブル崩壊の発端を呼び込んだようなところもあるからだろう。「一機種開発する為には100人のソフトウェアエンジニアが必要だ」と語るメーカーもある。

その会社のトップいわく「1300人のソフト開発体制を構築する」という話などからみるとこの会社では13機種の開発が平行して行われていることになる。開発周期が短くなってきたことから実際の開発期間が短縮されているのではなくて開発を平行して行っていくことで出荷時期を開発期間とオーバーラップさせているのが実情なのだろう。

無論、そんなことで全てのメーカーが開発をしているわけでは決して無い。携帯開発でのモジュール化が進んでいれば機種毎に新規に開発する部分が多いわけで決してないはずだから差分の開発だけをしていけば、可能な線なのである。こうした素直な開発をしているメーカーもあるようだ。こうしたメーカーでは100名もいない開発体制で両手ほどの機種開発を進めているようである。

数少ない機種開発をしているメーカーでは自力がつき機種展開が増えるまでは、スムーズな開発が出来るようだ。順調になり機種展開が増えてくるようになると共栄会社を使ったりするようになり混乱するようになる。開発プロセスが稚拙だからなのだろう。開発プロセスをうまく作り上げたメーカーでは、機種展開拡大が順調に行われてもいる。共通部品化の推進などが進められるからでもある。自前のミドルウェアの整備などやることはいくらでもある。開発投資が活きた形で使えるのだ。それとて内実は大変であるらしい。彼らが開発してきたミドルウェアが世に出ることはない。売るチャネルが無いのである。

ここ数年はまともに週末休んだことがないというようなのが開発プロセスが確立し、ミドルウェア開発も進んだメーカーでの実情でもある。通信キャリア毎の機種対応にまでは中々うまくいかないのが実情である。無論トップのキャリアに対応していく事のみで業界が成り立っていくという考え方もある。開発プロセスが確立したという点からすれば、そうしたリーダーが会社を辞めてもカバーできるようになるのだから会社としては開発プロセス改善あるいは開発プロセス作りに投資するのは無理からぬ事でもある。

ミドルウェアの構築が出来ないのは、開発プロセスの確立が遅れていることや多くの通信キャリアへの対応などが理由の一つでもある。国内モデルだけでもPHSがありPDCがありCDMAがあり更にFOMAもありインタフェースやプロトコルも多様である。彼らが構築したいミドルウェアとしての呼処理のAPI等が異キャリアでの通信プロトコルへの対応などにおいて課題を残したりするのだ。携帯電話自体が通信プロトコルに依存して動作するために待ち受けといった概念の部分の処理の工夫などが電池の持ちなどに繋がることがありこうした問題がおきやすい事も技術的な要因である。

QUAD社で始めたミドルウェアを無料で配布するというビジネスモデルはCDMAという分野での突出したシェアに依存しベースとなるチップ制御を司る部分のAPIが同一であるという点によってたつものでもある。QUAD社では、搭載するプロセッサのリソースをうまくアプリケーションサイドで使いこなしてもらうというのが今までのスタンスではあったが、日本などの深化した利用形態おいては提供しているユーザーインタフェースなどが不足していたという反省にも拠ってたつものでもある。

本来、こうした部分こそ各メーカーが持っているソフトウェアの勝負どころなのだと思うのだが実際にCDMA以外にも多くの開発をしているメーカーにおいては、開発プロセスのばらつきや搭載すべき機能盛り込みの過当競争などが生じているために起こってきたのも背景にある。元もとの理由に遡ればそうした機能競争を引き起こすだけの脅威をPDCのキャリアがCDMAに感じ取ったからに相違ないのだろう。

技術者が流動的になっている現在では、開発プロセスをうまく構築できなければその会社で働く技術者はいなくなるだろう。お客様の間での技術者の異動は良く見かける。同様な他社に移るのは、働く場所として携帯業界が電機業界においては逼迫しており移りやすいのが実情だからだろう。逼迫している実情からは、毎晩タクシーがお迎えにくる会社もあるようだ。タクシーを呼ぶと行き先も告げずに自宅まで届けてくれるらしい。

厳しい中で新年度が始まる、電機業界を引っ張っている携帯開発の業界では、夢幻の中から覚め始める状況になるだろう。開発リソースを無駄遣いしている状況のツケは、開発投資の積算という不良債権処理が始まるのではないか。次に繋がるような仕事の仕方などを始めることが必要だろう。業界競争なのだが、開発競走に陥っているのが実情だろう。

不良債権処理で始まるのは、ソフト技術者のリストラである。開発プロセス確立により少なくとも開発ラインのように作られた電機メーカー内部のラインは縮小を余儀なくされて有効に相互作用を果たすような仕組みに変わるだろう。電機労連の会社によく見られる条件では一度会社を退職したものは元の会社の系列の会社には入れないというのがあり、開発プロセスの出来ていない会社から辞めた人材をそのまま流失して失ってしまうのだ。欲しい人材が、自分達の開発プロセスの手薄で失ってしまうのは悲しいものだ。

VOL94 端末ソフトのダイエット大作戦 発行2001/3/29

日経バイトの囲みを書いてから質問・意見をいただいた。同様な感覚をお持ちの人もいるようだった。爆発する携帯がインセンティブレスな時代になったときにどれだけ安く楽しい端末を提供できるかというのが課題である。ある人は、Javaの組込み機能が改善されるので気にしなくても良いという意見だった。おそらく来年には、Javaの速度は改善される時代になりダウンロードアプリ以外でも利用可能な範囲が増えてくるだろう。

携帯業界は、機種展開のスピードアップと競争激化で「何が何だか判らない」というようなのが素直なところだろうか。一つのアーキテクチャにまとめて綺麗にアプリケーションを開発していきたいという思いもいろいろなのだろうが・・・。端末のコストダウンの取組みの中で現在の積算型構築手法での8MB越えの容量を是としているのは、技術者としては疑問を抱いている人もいるようだというのが、当該記事への意見などからも判りほっとしている。

しかし技術者の流動化は、実際にはかなり発生しているようである。問題意識を持たずに、忙しさに埋没しているタイプAの技術者や意識を持ち改革に走るというタイプBの技術者、これ以外のタイプCが流出している技術者達である。タイプCの場合には、同業他社や関連の会社に移籍することや、旅行などをしてリフレッシュして自分を見つめるなどの後に考え直したいという人がいるようだ。

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VOL93 無謀とチャレンジの狭間 発行2001/03/27

日経バイトに業界独り言の一節を書くことになった。独り言というネットワークを通じて色々な人たちと非公式な個人的な接点を持ちつづけているのが、そのきっかけでもあった。バイトな時代の戦友たちとの宴会で紹介されたのがきっかけだ。私を紹介したのはベンチャーの走りを行っていた私の恩師とも言える先輩からの紹介である。実際の仕事においての接点は数少ないのだが、彼との出会いは幾つかの転機を支えてくれたものだ。

コンパイラとの出会いは、UNIXやCとの出会いそのものであった。そしてそれを実用実施したのは当時、身をおいていたとあるメーカーでの上司の理解に恵まれていたことにも他ならない。当時の電機業界では、開発マシンとしてのVAX導入が流行りでもあった。そうした開発環境に早期から携われたことを感謝している。入社7年目といっても永い研修期間のために学卒の方たちの5年目と考えてもらえればよい。転機として訪れたチャンスを楽しませてもらった。

必要な道具はアセンブラやコンパイラ以外は、自分達で整備するのがunixでの当時の形式でもありデバッガへのダウンローダもCで作ることになった。最近のMSな世界と異なり全てシリアルまたはコマンドあるいはCURSESな世界であった。スクリーン端末に設けられていたプリンタポートも実はシリアルでありこうしたポートを利用して周辺機器との接続を実現して道具だてを作りつつの開発であった。

開発したコンパイラをDOSベースで使えるようにしてくれたのは、TurboCによる所が大きい。これを日本にリリースしてくれた私の恩師に感謝している。このコンパイラー以前には、ペンギンCも使ったのだが・・・。それ以前というと、専用ワークステーションにモデムをつけてリモートでコンパイルしていた時代でもあった。ラージモデルでようやくコンパイル環境がDOSベースで構築できて高価なリモートアクセスの電話代金を浪費していた時代を笑うことが出来る。

UNIXからDOSになりSDKとして製品化してしまうということも経験した。当時の会社では、全くの未経験の事態であった。出荷する工場部門としては、取り扱い説明書とフロッピしかないのは異常なことだった。QA部門がタッチできるはずも無く自分自身で全国のお客様を回って説明や指導やサポートをすることになった。SEを指向する社内部門からの協力関係が出来て実際にはあたることになった。SDKとしての開発費用など計算のしようのない自分の設計工数ではあった。無謀な取組みでもあった。

組込みソフトをお客様に開発してもらいダウンロードしてデバッグして、出来たソフトに会社が提供するハードウェアの端末を買ってもらいシステムアップしてもらうのである。情報部門という職責の人たちや出入りのシステムハウスといった方たちが私のお客様であった。ハードウェアがお客様の利用で発生した故障で動作しなくなった場合のデータの救済などの仕組みや解析などの経験も出来たが、そうしたことを自分自身の経験値向上にしか利用できなかったのは残念でもあった。

SDKで製品化したことも手伝いコンパイラの改善などについても更に自由度が増したので、自分で改善するループに落ち込み周囲との溝は深まっていくばかりでもあったが気にはしていなかった。日常的に無線機器の開発で利用しているコンパイラ性能が良くなれば、仲間の仕事の成果も良くなるからでもあった。隣人愛でもある。Cをベースにしたリソースの少ないOSも開発し、それをベースにBASICコンパイラの開発にも着手した。無謀な取組みでは、あったかも知れないが、前向きに取り組むことが出来てその中で多くを学ぶことが出来た。こうした状況を突き抜けてしまってからは、知らない自分を知ったことで恐れが無くなったようだ。

そうした世紀を超えて、今は携帯電話の開発支援をしているのだが、メーカーの方々の挑戦といった内容は大分変わってきたようにも思う。納期を恐れて保守的な見積もりや仕事の仕方をとられていた方々も今は変革を求められているようだ。恐れることは無くチャレンジしてみるべきだと私は思う。プロセス改善にチャレンジしている人たちは、今の状況はやっときた順風なのだと思う。何もしなければ生き残れないのだから・・・。恐れる必要はない。チャンスを活かして色々と取り組むべきではないだろうか。

昨今、恩師の仲間と語り合う機会が出来てきた。会社を移籍してみて余計に、当初から米国の会社と渡り合ってきたこの恩師の言葉がより理解できるようになってきた。彼が長らく言い続けてきた「どうするのこんな事がわからなくて、この会社は・・・」業界を憂うというフレーズを最近は相互にMLで話している。雑誌出版の編集の方や出版社のトップの方も同様の様子であるらしい。現役で会社に居る人たちには奮起してもらいたいものだ。明るく、前向きに、仕事には取り組んでもらいたい。

VOL92 VM開発の舞台裏 発行2001/3/24

桜が咲き始めた、大岡川の両岸には開花宣言が行われるなかでちらほらと咲き始めていた。京浜急行で調査の必要な関係情報を週末の都心に求めて向かった。次世代チップで検討しているVMアクセラレータの技術紹介が特集されていた雑誌のバックナンバーを探していたのだった。携帯でのVM移植については昨年来のテーマであったが、すでにドンナモンジャといった雰囲気で進められている一部の先行キャリアと、力不足で結束不足ともとれるキャリアには隔たりは明らかだった。ドンナモンジャと高らかに宣言されるキャリアに追随するのか、国際標準という名の元にWAPと同様な良い子の一団が形成されていくのには首肯しかねる雰囲気があった。

国内には、有力なVMベンダーが居るのは事実であるが、まだ事業ベースに乗っているのかどうかは課題だった。メイン商品としての期待があり色々な形でシステムや端末に出てきてはいたのだが実際の組込みベースでの商品が数多く離陸していくという姿に最も近い姿が携帯での適用なのだろうと思う。携帯通信料金の高さなどから端末機器メーカーあるいはキャリアからライセンス料金を取得できるだろうというのがビジネス目論見でもある。規格策定などの共同作業などにも腐心するのは必然でもある。実際に、その会社のVMが高速なのかどうかは、採用されるメーカーのシステム設計にかかっている。札びらをつけて高速にすることも出来るし、コストを抑えて速度もあわせて抑えることも可能だからだ。

一定の指針や規格が作られてどんなもんだという状況に入ると、その規定を守るためには規定策定を行ったVMベンダーのものを採用するもよし、自社開発するも善しなのだが。実際に互換性などを追及されるとベンダーのものを採用するようになるようだ。キャリアの力が不足している場合には互換性などの心配からベンダー採用をメーカーに押し付けるような状況になってしまうのかもしれない。いずれにしてもメーカーとしては、キャリアが引いたビジネスモデルのKVMアプリを実装するために必要なコストや開発リソースなどの判断には幾つかのチョイスが出来てしまったようだ。

技術あるいはソリューションプロパイダーというのが最近のQUAD社の方針でもあり、KVMも組み込むことを考えているのだが、VMベンダーの考えているビジネスを肩代わりして携帯業界に提供していき黒子としてのサポートをVMベンダーに委託するというようなスタイルは自負あるベンダーとしては呑めないかもしれない。確かに携帯業界の一部においては圧倒的なQUAD社ではあるが・・・。カラオケの事例などからみても、そんなことが起こりそうな話であり、現在のドンナモンジャといった状況を善しとしているベンダーとの間で条件が擦りあわない可能性もありそうだ。QUAD本社が上位層のアプリケーション開放を推進していることもありこうした枠の上でネスケのような範疇でVMが配布あるいは販売されるようになるのかも知れない。

キャリアの提起したスペックをクリアすればよいのかどうかというのは、結局エンドユーザーが満足するかどうかにかかっている。いままでであれば、音がいいとか・使いやすいといったことが端末の選別に使われていたのに加えてKVMの性能までもが判断材料に加わってしまう事態に陥っている。万人がそうしたモデルを求めているのかどうかは、疑問だが現状の携帯ビジネスには入門機も、ミドル機もなくてハイエンドに集中してしまう事を全体として要望しているようにさえ映る。まだ自由が損なわれている印象であり不健全なビジネスだと感じる。

PCでもなく、PDAでもなく、携帯という世界でアプリケーションやハードでビジネスをしていこうとしている姿は、どこかうそ臭い。流行で使っているのか必然で使っているのかということも含めて麻薬のように使わせて月額数万円にもおよぶ通信費用として個人から請求させてしまう事態は異常である。こうした状況を国として是認しているとも受け取れるのは、携帯ビジネスで景気を向上させようとしているからなのだろうか。個人同士が日常のメールなどの通信手段として使うことにしか使えていない現状で景気が向上していくような雰囲気は、そこにはないと思うのだが・・・。

雑然と置かれた東京駅前の大型書店の書架のなかには、要らなくなった古びた情報までも含めて寡占ソフトメーカーの圧力で出来たコーナーが幅を利かせて結局のところIT某とといった世界を表してはいるもののうまく世界が回っているといえない混沌とした状態を表現していると感じた。全ての情報をアクセス可能にさせるというwwwな世界のようなこの書店の配置には、結局、必要な情報が無いことを納得するのに無用な時間を浪費させることにのみ費やされた。最初から版元にバックナンバの手配をすべきであった。

自宅に戻ると広島・愛媛といった知己の多い地区に大地震が起こり構造の弱い建物が崩壊したりしているニュースが報じられていた。知己の心配もしつつ、サードインパクトともいえる次世代電話もこのような大地震のような位置付けで通信携帯業界に起こり愛ある姿さえもクラッシュしかねないのかも知れない。衛星電話の失敗を知った上で採算が取れるはずの仕事として始まる次世代携帯電話のはずなのだが、果たして・・。来年には色々な形で破綻と展開があるだろう。

我を忘れて、話し込んでいる知己の写真を社内のサイトで見つけた。ラスベガスに居るらしい。1xEVという次世代技術が来年にはチップと登場してくるのだが、そうした話ですっかり夢中になりフラッシュも写真をとられたことも知らなかったようだ。彼が取り組んでいる技術も結局のところ大元の携帯電話あるいは、それに準ずる技術(電話ではないかもしない)の登場で、発揮されるからに他ならない。この、真打登場で健全な世界として離陸発展していくと感じている。例えばフレッツ某というパターンで、あのキャリアが展開するようなことが始まったら面白いとも思うが・・・。

VOL91 携帯業界もゴミを増やしている? 発行2001/3/21

春めいてきた。今日は朝から、前の会社を訪問することになった。サウンド機能のデモンストレーションである。今回は黒子だ。共栄ベンチャーがプレゼンするのでサポートである。会社近辺には、そろそろ花見の時期を迎えようという時期でもあるが、陽気は春とはいえ花見は来月からだろうか。

あらかじめデモセットは、宅急便で送付しておいた。ブレッドボードを抱えて歩くには少々箱が大きすぎるのである。電源はお客様にお願いしておき、スピーカーなどは共栄ベンチャーに依頼しておいた。実際に彼らの技術を実装した事例としてのデモというのがデモの理由である。会議室でMIDIプレイヤーのコンテンツをスピーカーで鳴らしている。携帯電話は、色々な技術で出来上がっている。

技術の採用を考えているお客様としては、当然他社も採用している実情を認識しており、幾つかの課題なども追求している。同じ技術を採用するとしても実装する部品などにより音質などが変わるからでもある。市場に出回っている現在の版の音をデモしたうえで、次回の実装で予定している改善版の音をPCでデモを実施した。WINDOWSの上で同様に実装したものではあるが、ハードディスクアクセスの問題などで時々音が伸びてしまうことが起こる。

出てきた音については、いろいろ意見があってもコストダウンの手法として部品からソフトへの切り替えに流れてしまうのは時代の趨勢いもしれない。半導体のメーカーとして部品機能と搭載ソフトの両輪を回していくことがまさに求められているのだ。QUAD社は、こうしたことに対応していこうと懸命になっているのだ。対応できずに淘汰されてしまったライバルメーカーも多いからでもある。

次々と出てくる技術を盛り込み買い替え需要を喚起している姿は、車をリースでどんどん買い換えている姿にも似ている。長年のりつぶすというような人の存在はキャリアやメーカーからは肯定されていないようにも見受けられる。搭載した高価な部品や作成に要したライセンス費用なども含めて、新機種への乗り換えでごみとなっていく。このゴミが出来ないことには世の中が回らないのだろうか。

とはいえ、一度生産した製品を長年使いつづけていくというようなことは家電品と同様に世の中から無くなってしまったようだ。いつまでも使われることを良しとしないのではパチンコ業界の液晶ディスプレイを使い捨てているのと同様なのであろうか。ソフトを入れ替えるだけで楽しめるというほどには技術が熟成していないということもあるかもしれない。

セルラー電話を自国の実情に合わせつつフルセットで開発してきたキャリアではあるが、いまでは門戸開放の流れの中でより上位のアプリケーションの世界での戦争を仕掛けてきているのだろう。顧客ニーズとのバランスによって成立している世界であり、まがい物でお茶を濁していると一徹返しをお客から喰らいかねないのだが。つまらないからと返品してという願いも通らないのが、携帯業界だ。

やはり、自動車電話から派生したこの世界は、昔同様かたぎではなくてやくざな稼業なのだろうか。ただし、パチンコでは景品がもらえるが、携帯ではお金は、出る一方だ。接続するたびに表示が回って777が揃ったら無料通話が一ヶ月とかであれば楽しいのだが、ギャンブルという形にまで持ち込むのはまさに賭けなのだろう。

一円で売られている電話機を作っているお父さん・お母さんは子供にどうやって説明をするのだろうか。淘汰される世界の中での出来事なのか。デフレスパイラルと呼ばれる中では致し方ない姿なのか。携帯代理戦争と呼ばれる国内の実情では、そんなことにかまっている暇はないのだろうか。健全な業界発展に寄与しそうなベンチャーを探してインキュベーションしていくことだけでは不十分なのか。

五徳ナイフではないが、携帯電話という業界の目指している姿がキャリアなのかユーザーの要望なのかメーカーの野望なのかは別にしてまったく違うものになってしまった。GPS機能がついたと思ったらジャイロまでも付くらしい。アウトドア志向の暮らしをするには楽しい世界に変わっていくのかも知れないが、ゴミになっても冷蔵庫や洗濯機ほどは目立たないのが携帯の逃げ道なのかも・・・。