VOL31 クローズソースの共有part2 発行2000/07/30

週末の金曜日、ひさかたぶりに、前の会社を訪問した。今は溜池テレグラムで見た目羽振りのよい会社である。訪問理由はあるシテム製品の開発20周年記念というタイトルが冠された会合である。20年前に着手して初めての自動車電話交換機と自動車電話基地局と自動車電話端末を独自のプロトコルで一式をフルスクラッチかつフルターンキーで新規開発し納めるという、暴挙をやってのけたベンチャー精神華やかなりしころの成果であった。アナログ時代だったとはいえ、ここまでのシステムを構築できたのは底知れない開発力の証だったといえよう。
 
業界のだれもが、できないと口々に否定した新方式の呼処理分散トランク型交換機は、ある意味現在のレイヤー3スイッチングを実践していたような概念である。巧みの技の集大成がそこにはあった。いくばくかのお手伝いを果たしたこのシステム開発であり、雨降りしきる中仕事の調整をつけて夕刻の宴会にかけつけた。大規模システム開発を経験したことが、以降のこの会社あるいは事業部での肥やしとなり現在のワイドなどの開発に繋がっているのだ。実際そうなのだろうと思う。当時、こうした新概念の交換機を提唱し5000台容量のシステムをいくつも納入できたのは、その開発の過程にあるさまざまな仕組みや実践ということが大きく会社の土台につながたのだろうと思う。そんな感慨を歓談をしつつおもった。
 
私はといえば、そうした想いあるいは志自体は持ちつづけているものの昨今の開発の流れや業界でのリーダーシップの流れとは離れて振り回されている感のある事業部にダウトを宣言して直訴切腹を申し出て早期退職を果たして外部からの支援活動を標榜している。歓談を交わす中でここに来られていたかたがたにはまだ匠の心を忘れずに座右の銘にしておられることを再認識した。そうした20年前の成果は、次世代の若手技術者に伝わったのだろうか。プロジェクト毎に終焉してファイル化してしまうなかでそうしたノウハウや経験は共有できないように感じた。
 
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VOL30 クローズソースの共有 発行2000/07/27

オープンソースな世界でのソフト開発の進展は、LINUXやGIMPなどの成果などにも含めて多くの成果をあげていることで知られている。組み込み世界においても、そうした取り組みが為されていけば効果があがるのたろうか。組み込みの世界においてのオープンという意味は、一つは道具という意味があるだろう。利用する道具は共有でもよいという考え方である。GNUのクロスツールなどを積極的に利用していくという姿は確かに存在している。組み込みという、匠の技を各社が保有していると思わせる範疇において製品そのもののソフトウェア自体を共有していくという姿は、なじまないと感じていた。
 
現在、QUAD社では、自社技術の展開施策の中でチップ事業とその上で提供するソフトウェアのソリューションビジネス(?どこかのメーカがよく口にしていた)とを手がけている。ライセンスを受けたメーカーには製品の一切合財を動作検証したソフトウェアをソースで基本的には提供しているのだ。すべてというと語弊があり、自社技術の核というべきDSP内部で実施しているものについては外部からのAPIしか見せていない。チップビジネスの競争相手に対しての対応としては当然ともいえるのだが。ライセンスを受けたメーカーがQUAD社との間で共有しているのだから相互には質問のやり取りがあり、メーカーは自社ハードウェアやソフトウェア構成に対してのインプリメンテーションについてカスタマイズや開発を進めていく。いくつかのライセンスを束ねるとかなりの額になるとはいえ携帯というビジネスのボリュームに照らして開発費用というメーカー裁量の中や部品コストなどへの展開でしのいでいるのだろう。まったく経験のないメーカーもこうしたソフトウェアやチップセットそしてサポートを通じて製品化できていくのだから、クローズな世界とはいえ、成果共有をしているともいえる。今日の開発期間短縮の流れにおいて世界中のメーカーが利用して成果を収めつつ完成度を高めていくビジネススタイルは新たな形だろう。携帯業界のインテルとも評せられるQUAD社が保有する先進のCDMA技術があるが故のビジネススタイルである。
 
しかし、パソコンの世界で互換ボードを開発するというビジネスと携帯の開発は異なる。各メーカーが構築したい端末に向けてQUAD社のソフトとチップを当てこんでいくという事だからだ。Intel以外にAMDやNSがあるという状況で選択する場合に、チップを支えるソフトウェアの比重が大きくのしかかってくるからである。現在、こうしたソフトウェアを自社で開発しうるメーカーは国内では片手もないだろう。また、そうしたメーカーもWCDMAなどの世界標準という夢の踊らされて、現実のcdmaOneなどには手が出せないでいるのも事実である。勢い、QUAD社に仕事が回ってきているという構図なのだと思う。互換機ビジネスを追求する輩はどこにでもいて、同様のチップセットを展開してソフトウェアはイスラエルの会社と共同開発しましたなどという展開を示す。QUAD社も含めてベンチャーなのだから、どれをとってもよいのだろう。しかし、昨年からチップセットビジネスが淘汰の季節を迎えある互換チップメーカーは日本から撤退した。それだけQUAD社が標準となってしまったのである。

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VOL29 遅い勤務は個人の勝手 発行2000/07/13

さぁ、自転車で通勤をしているし、時間制限は無くいつまでも仕事を続けられる環境になった。朝早くから家代わりに住んでいるようなセクレタリーのボニーもいるが、家族の一員の如く暖かく迎え入れられている。彼女は,帰りが比較的遅く、日没位までは仕事をしている。同僚には、日没をみつつ夕食を食べに車で出かけたりして日本食レストランで食事をしてまた会社に戻り、夜の一時くらいに帰るものもいる。朝は11時にはくるのだろうが、彼はサポート先の時間に出来るだけ合わせて生活をしているようだ。といっても問題は同様なものが同時期に起こるものなので、一つ片付けると立て続けに解決をみる。それだけ高い完成度が求められている世界だ。ソースを全て提供している部分もあり、ユーザーが独自に作りこんだり改造したことが裏目に出たりする事例もあって、自分達での検証をしていくことの精度も当然高まった要求となっている。解決しかねて支援を求めてサンディエゴまで訪れるお客様もいる。以前つきあったことのある大手の無線メーカーだが、アナログからデジタルへの変身には体制がついていっていないように思われる。チップの開発とソフトの開発と同時進行しつつハード・ソフトの作りこみをして製品化しているユーザーの支援という形で仕事を進めていると、以前半導体メーカーのSEに対して感じていたのとは違うような感覚になってくる。再現性の高いソフトとハードという両面を追求しつつDSPとロジックとソフトのバランスを見つつの製品展開を考えていくのだが、出来上がりの製品のアプリからみた機能要求についても隠しだまを用意しつつの開発を進めていくのはこうしたベンチャーとしての保険なのだろう。隠し命令というのはマイコンにはよくある話だったが、隠れハードもあるのだと最近は納得するようになった。
 
時差のあるお客様の支援でタイムゾーンを広げてのサポートを進めるがお客様の側の道具や端末を送り込んできて試験をしている状況ではタイムゾーンは裏目にでる。おなじ環境ができないのだ。PCの設定が違う?OSの仕様が違う?スクリプトが違う? 計測器の仕様は?などと色々なことが起きてくる。ミスに気がつく頃にはタイムゾーンでタイムアウトになる。タイムアウトが起こらないようにするには互いに精度の高い仕事をしようとするのだが、DLLが不足していましたので動かなかったなどという自体は、自分達でも中々認識していないことらしくそうした現象がこちらで発生した場合には見たことも無いエラーメッセージを説明しても向うでもちんぷんかんぷんになってしまうこともあった。本来はお客様が自分自身で解けない問題に対して自分達も乗り込んできてくれれば、もう少しよい歯車が回るのだがそうはいかないらしい。こうした状況では、その会社の仕組みがよくわかるような気がしてくる。生産技術への引継ぎなどでも問題を起こしがちなのだろうが、生産だけのアウトソーシングなどを進めていくうえでは精度の高い仕事がさらに望まれている。
 
そんな事件でお客様からの不足した道具をメールに添付してもらい送付をしてくるのを待っているのだが「着いたら連絡してください」という電話の一言が気にかかり帰れないでいる。インターネットの爆発は仕方のないことなのか。Emailの送信については着かないかもしれない。あるいはすぐつくかもしれないという事を頭において活動しなければならないとこちらにきて強く思うようになった。私たちの場合には、メールが米国につかない限りは国内からのメールが届かないのだ。日本の4時は夜中の12時である。さあ諦めて帰るか。確認のメールを相手の会社に送るとすぐに帰ってきた。ユーザー名をわざと間違えて送付したのだ。どうも先方のメールサーバーの問題のようだ。あきらめよう。LotusもCCメールならば良いのだが、NOTESは駄目なのだろうか。我が社は悪評高いEudoraだがサーバーはシンプルなので問題はない。こんな時間にと思い夜食を冷凍庫から取り出して、解凍したおりにも結構残っている人はいるようで、みな個人としてマイペースである。米国人が9to5で凝り固まっているとはいえないようだ。無論、そういう個人のペースの人もいることは事実だ。技術屋としては、あまり変わらないのではないだろうか。

この時間に自転車でかえる自分も、マイペースであることには違いがない。スイッチがないのはこういうときには嬉しい。部屋から出れば自動的にスイッチが切れるのだ。当り前かも知れないが。センサースイッチは、マイペースの気持ちも支援してくれる。

VOL28 チキンという名のビーフ 発行2000/07/11

初芝時代からの知り合いが、ここサンディエゴにはいる。ベンチャーCEOのバラード氏である。忙しいらしく、メールの返事もいつも夜だった。週末にあう約束になり日曜の夕食を一緒にとった。昨年までの彼の欠点だった資金集約能力という点にはメリルリンチがあたることで仕事としては順調に推移しているようだった。彼の車は相変わらずでいつ洗車したんだというようなありさまだが、そんなことは気にしないのがこの国の流儀だ。個人の範疇である。
 
ホテル前でピックアップしてもらい、お勧めの静かな店に入った。お勧めの地ビールを堪能しつつ、チキンという名前のビーフ料理を頼んだ。X86を束ねるマルチサーバーを技術の根幹にしたベンチャーであり、現在は第三世代に突入していた。第三世代はアービターCPUをmipsにして、残りをcruesoeにするという戦略で、ようやく彼も低消費電力とアプリケーションの両立という壁に対しての答えを用意するようになってきたらしい。自前のosに切り替えた第二世代のサーバーは既に稼動していて「HACKME」とハッカー達に誘いの手をかけているらしい。こうした実績をもとに政府に対してセールスをかけようと攻勢をかけているようだ。スケーラブルサーバという言葉を一昨年からいってきたがこの秋には商品として登場するようだ。i-modeなど引く手あまたな市場なので、同様のアイデアのライバルが現れるに違いない。彼の健闘を期待しよう。
 
もともと東川という観点でいえば,溜池テレグラムのドーヤサーバなどをベースにしてこうした技術を期待しての接点だったのだが、昨年の東川のスピンアウトも含めて互いに機会としてよく符合した事件をいくつか経過していた。二年余りになるサンディエゴでの開発体制は、来月にはオレンジ郡に移動するのだという。もっと安くて広くて便利なハイテクタウンが出来たらしい。新サーバーを売り出していくには新たな土地での新オフィスも良い刺激だろう。環境を整えてかかった仕事はうまくいくというのがPHSの時の経験だったが、ワイドになってからのそれは、やはりうまくいっているのだろうか。本当の意味での環境が整えばきっと成功を導くのだろう。
 
QUAD社に移籍してからの東川にとってもバラード氏のテクノロジーをうまく使えないだろうかといつも思いをめぐらせている。幾つかの選択肢の中に考えるようにしている。ケータイという文化の異常なスピードや広がりに対して技術として提供している素地が、いろいろな意味でまだマッチしていないというのが日本からみた状況であり、溜池テレグラムが躍進している理由でもあるのだろう。そういうユーザーから見たサービスという観点と採算という観点は別であるしベースの要素技術という観点から見た内容もまた、あまり正しく認識されていないというのも変な世界である。おかしな話であるが、このままケータイインターネットが普及していくには採算に乗せる必要が出てきてオマケの重みでキャラメルがつぶれてしまいかねない。あまりデラックスなおまけをつけるとキャラメルではなくなってしまい、広告費用では賄えなくなるのだ。
 
スクリプト言語を搭載してコミュニケーションの世界に一矢報いようと考えたのは5年も前の話であり、この五年の間に状況はどんどんとそういう形には近づいてきた。しかし漸近線であって、なにか間には溝がある。まだ,何か時期尚早の話なのか,手ごまが不足しているのか手がたらないというのが実感だ。簡単な話で解決がつきそうな話がたくさんある割にはたくさんありすぎて複雑な話だけが議論にのっていくWAPな世界が世界の趨勢なのだろうか。WAPでかつ愛のサービスな世界というのが今、東川の脳裏には走っている。何か答えがありそうだ。東川は難しく考えて簡単に解くのが大好きなのだ。簡単にといて見せるために大胆な仮定と新技術が必要であり、そうした技術バランスが崩れる点をいつも追求しているのが東川の楽しみでもある。ほっておいても要素技術は伸びていく、ただしそうした要素技術を結び付けてバランスの崩れを利用した新しい世界をみせるのはベンチャーも大企業も変わらない。

VOL27 仕事とはなにか 発行2000/07/09

サンディエゴに来て最初の一週間が終わった。独立記念日の休みも合ったので実質3日の週であった。木曜日の全員ミーティングにも久しぶりに出席して顔なじみを思い出していた。環境は昨年のそれとは少し変わっていた。端末製造部門の売却によりこの事業部の技術者と建物をシェアする形になったからである。狭くなったわけではないが、伸び伸びとしていた建物が他の会社と同居するために電子鍵が必要になったのである。共通のものも多分あるのだと思うし、中が悪いわけではない。見知った仲間の間にもセキュリティで壁が一つ増えたのが異質な感じがするのである。私の強力な仲間に中国系アメリカンの石君がいる。リビングストンというのだが自分ではstoneと略することからここでは石君とかこう。彼は、既にQuadに5年いるのだが5年経つと4週間の休暇が取れるようになる。これはQuadとしての標準らしくそれまでは3週間の休暇なのである。米国人の場合には休むために仕事をしていると思われるかもしれないし、そういった一面は良く見かける。休むために懸命に引継ぎしまくって山ほどリリースをして休みに入る。そういう風景だ。Quad社の環境は決して悪くないと思うし、確かに機会や費用などに困ることはない。優秀な技術者を世界中から募るというスタンスは確かにある。しかし、Quad社を去る人もいるのだ。事業部長という職責のSrVPは、法律家の教鞭をとりに大学へいき、今でもQuad社に対してコンサルはしているようだ。
 
チップ部門のハードウェア支援取りまとめ役の方は、教会に仕事に入った。すでに十分な株価の対価が入り早期からいる方達にとってはストックオプションで十分な老後が見込めるということもあって自分の求める求道の世界にはいったらしい。お金で仕事をしている人だけかと思うと先の石君と同期に入った技術者が今週で最後だとというメールを皆に出していた。辞めたいのではなくて、Quad社にジョイントした段階で自分の目標を5年間と定めて仕事をしてきたようだった。5年経ってみて色々な仕事の達成感をもちつつ実現してきたが自分のやろうとしている次の目標が見出せなかったとしている。同期に入った石君は神妙に受け止めていた。大学を出てQuad社で思いっきり仕事を昇華してきた技術者にとっての5年間はきっと充実したものに違いない。自分の納得する5年間を仕事として実現し、次の自分というものを考えて去っていくというスタイルもあるのだと思い初芝時代に同様な状況に至った後輩を思い出していた。
 
Quad社の状況で言えば、理想を追求する姿とチップ商売という仕事を推進する面とで互いに反目する点も出ているような気がしている。しかし、理想を追求するというスタンスを明確にしている点は私が選択した理由に他ならない。こうした風土が失われるのであれば私もQuadをさるだろう。四半世紀あまり技術者をしてきて、やはり自分の仕事で世の中に貢献したいというのが正直な私の気持ちだ。色々なことに取り組んできたことでアプリケーション支援という仕事には経験は活かせていると思うし、技術者のための技術者という仕事は、従来要素技術として追求していた姿とマッチするのだった。要素技術に対価を支払う仕組みがなければ、出来ないというのはつねづねいい続けてきた事だがライセンスという対価がそうなるのだと改めて納得している。圧倒的なライセンスという背景に支えられるのではなく、ソフトウェアとしての精度・機能も同様に高めて世界一のレベルを追求していくというのが目指している姿である。ローカライズという面を取るとまだまだ十分でないのが現実だが、理想とする形を掲げて、予算も方針も権限もつけて進めさせて貰えるこの会社の風土はベンチャーの気質をまだまだ十分にもった魅力的な会社だと考えている。
 
給与で仕事をする人もいるだろうし、内容で仕事をする人もいるだろう。忙しいのが好きだという人はいないと思う。そうした目で自分のしている仕事と、そこに見出す価値観を今一度考えてみるとこれからの技術者の人生にとって重要な転機があるような気がしてならない。会社という家族制度が、若干の破綻を来たしているのが日本社会の現状であることは、今更ながらによく感じている。家族に頼っている気持ちがある限り自立した、技術者にはなれないと思う。安定な家族という姿は、いま何処にもないと思うし自分で支えてやろうという気概なしにそれは達成しえないと思う。

VOL26 自転車を押して 発行2000/07/06

今回は,少し遠くのホテルしかとれずにいたのだが、QUADのビッグママこと(初芝通信PCDの某女史のお母さんといった感じ)、ボニークーンの取り計らいでいつものホテルに切り替えてもらった。ボニーには会社のクローゼットにしまってあった自転車を出してもらった。錆付きはないようだし、問題はなさそうだった。日本向けの作業を進めて夕刻になると、同僚のチャイニーズ系アメリカンのリビングストンに頼んでホテルにいきチェックアウトをして、併せて夕食をとりにアジア系食堂の多いコンボイストリートへ向かった。ヌードルが好きだという彼が、連れてきてくれたのは日本のラーメンが食べれる店だった。餃子と野菜ラーメンを頼み、彼は枝豆と海鮮ラーメンを頼んだ。ビールも寿司もあるようだったが、運転手である彼がもともとアルコールがだめな事もあって控えた。

地平線や水平線近くまでの青空が夕映えで色づきやがて夕闇に変わっていった。夕闇迫るサンディエゴを北上しつつ、次のホテルに行くのを忘れて会社に戻りかけたが、少し大回りをしつつもホテルに向かった。荷物を取り合えず持ち込みといっても小さなトランク一つである。いつものホテルは滞在型のホテルではないので冷凍庫の食品をどうするのかが課題だったが、会社の冷凍庫に持ち込む事で解決をみた。再び、リビングストンの運転で会社に戻った。京セラへの売却でビルが電子鍵の二重化が進み、車での入門にはセンサーが二倍になっていた。無論QUADのそれにかざさないとあかないのだった。夜型のリビングストンはまだまだ夜中までやっていくようだが、時間をシェアして効率をあげつつの作業が目的でもあり9時には自転車をセットしてもどろうした。しかし空気が物の見事に抜けていた。これでは乗っていけない。結果として自転車を押してホテルまで戻った。UCSDのキャンパスの周囲を回る形で、ホテルを目指した。以前より信号が一つ増えていた。少しずつ区画整理が進んでいるようだ。懐かしいベーグルショップも、まだ残っていたようで安心した。明日の朝は、ソーセージと卵によるベーグルサンドが食べられそうだ。ホテルに到着して、そのまま自転車をエレベータでドアからドアへ部屋につくなり買いおいてあった空気入れ(米国仕様)を使ってようやく自転車が復元した。明日は大丈夫だろう。

VOL25 フライトはノースウェストで 発行2000/07/05

日本のお客様のサポートのために日付変更線を越えようとしている。矛盾するようだが、事実だ。チャーミングなスチュワーデスさんが見たくてでは決してない。迫力あるユナイテッドのキャリアスチュワーデスからノースウェストに切り替えたのは私の個人的な理由ではなくて会社の選定だと聞かされたからに相違ない。あとで入社した後輩によると個人のマイレージを考慮するので変更しなくてもよいという方針に変わったようだ。いずれにしてもビジネスクラスでの往復となるので、折角利用した幾たびかの社用フライトのマイレッジからまた元に戻す理由もなくNWの赤い飛行機を選択して今日も飛んでいる。機内食も、ノースウェストは良いように感じる。以前、サンマイクロの招待で日本航空のビジネスクラスでツアーにいったが私は日本航空よりもノースが好きだ。
 
既に感覚が日本人離れしていると言われるかもしれないのだが、外資の会社にいて英語を公用語として利用している現在、感覚も変わってしまうのかもしれない。後輩はかたくなに全日空を守っているようだ。10時間ほどのフライトはブンブンフライトを予定しているロサンゼルスまでの飛行となる。昨年からの何度かの利用でブンブン飛行機にも慣れてしまっていた。前回は荷物と身体がバラバラに到着するという事件があったが、今回は、その撤は踏まないだろう。ただし、ロスからの便はユナイテッドなのでロサンゼルス大空港内の大移動をしなければならない。これがイヤでユナイテッドでのフライトを希望する人物もいるようだ。ノースからユナイテッドのチェックインでヒアリングで躓いた。まだまだだ。「何か誰かからか頼まれた荷物を預かってませんか」という最近のお定まりの質問であった。くさりつつも国内便の連絡をまつ。飛行機の時間には余裕があり、まだ前の便の飛行機にまにあったようだ。荷物を預けていたので変更はせずに待っていた。妻に電話をすると夜中のテニスの応援をしていたらしく起きていた。ダベンポートとモニカセレシュが緊迫した試合をしているらしい。
 
ブンブン飛行機に乗り込み真っ青な空に向かって飛んでいく。前方でアテンダントが避難方法説明をしているが眠気がきた。気がつくと、もうサンディエゴ上空だ。確かにブンブン飛行機の苦手意識もどこかにおいてきてしまったようだ。タラップを降りると到着した荷物が出ていたが私のトランクに似たものはあるが違った。荷物が着いていないのか。バゲージクレームにいくとそこには見慣れたトランクがおいてあった。私よりも一足早く到着していたらしい。前回とは逆だが、この場合はセーフである。強い陽射しでかつ、爽快なサンディエゴの空港からタクシーに乗り込んだ。これが初芝流の正しい方法なのだが、米国でのそれはメジャーな方法だとはいえなかった。運転手に行き先を告げようとして肝心のホテルの名前をド忘れした。・・・・innLaJollaなのだが。Rではじまったような・・・。しかたなく運転手に地図を広げてもらった。地図から指し示してResidenceInnLaJollaであることを再確認して運転手に告げた。しかし、運転手は知らないらしく地図をベースに回り始めた。ニ回人に尋ねてようやくたどり着いた。

たどり着いたホテルは2階建ての角ごとに部屋がある小さなコテージが並んでいるタイプの滞在型である。キッチンもしっかり出来ていて自炊もOKである。もらった地図で早速モールを訪ねたが程なく大きなモールがあり歩きでも十分にアイスクリームを買いにこれる距離である。映画館もあって週末はゆっくりできそうだ。明日は、タクシーか誰かに頼んで拾ってもらおう。とりあえず近くに住んでいるチームメイトにメールを送った。連絡があるだろう。モールで買ってきたビールとSUSIで夕食にした。明日の朝は買ってきたベーグルと牛乳だ。自転車がくれば行動半径が広がる。

VOL24 時代を動かす時がきた 発行2000/07/04

忙しいだけで求人をとることを止めるときがくる。そう携帯端末のソフト開発を変える事件を引き起こそうとしている。東川氏のことを知る人物から、開発が中断したテーマについて聞くといいだろう。この開発が、まったく新しい形でスタートする。綱島の会社も台湾の会社も同一次元にしてしまう。まったく画期的なストーリーが展開しようとしている。今、東川氏は、そうした事件の生き証人としてあるいはつぎの時代へのナビゲータとして米国に移動しようとしている。彼は二週間で帰国するが、この間に彼とコンタクトした人間にはあらたな取り組みの一端を語ってくれるだろう。無論、東川氏はそうした新たな話をするに値しないと思う人には、話すはずがないのだが、そんな人にはこの独り言すら送る必要がないのだから・・・。
 
21世紀に向けてきっと端末そのものを変革させるこのストーリーにジョイントすることについて後悔の念を持たずに聞き逃すことは出来ないだろう。これは、つまらないソフト開発に従事してきた人たちの仕事を奪うかもしれないし、あらたな市場を産み出すかもしれない。時代は21世紀のビジネススタイルを生もうとしている。殻にとらわれていてはチャンスは逸するし事業部の支援すら出来ないのだ。こんな面白い仕事を前にだまってなどいられない。是非話を聞いて欲しい。英語がどうしたなどといってられる状況などないのだから。今一度、記す。
 
あなたの感覚とまったく異なる世界を、また東川氏は見せてくれるだろう。世界に先駆けてVMベースの自動車電話を開発し、ソフトモデムを提唱し、8ビットのCを実用化し、製品ソフトをユーザーに書かせ、スクリプト言語で端末同士を結ばせようとした東川氏が動いたのだ。何かが携帯で起こるとだけ書こう。QUAD社に東川氏が移った理由の一つはHDRだった。しかし、彼はソフト屋だ。東川氏がHDRでやりたかった事とは何か。その理由は、広島と大阪と品川と綱島と佐江戸の技術者は知っている。この幻のプロトタイプを動かすとそれは時代からハミダシてしまうのだ。I-MODEやKVMでは決してない。
 
ワイドやナローといっている時代は終わっているのだ。何をするのかが問題なのだ。さあ、話を聴きに東川氏とコンタクトをしてみないか。