組み込み開発の黎明から
かつての初芝通信では、端末機器あるいはシステム機器の組み込みソフトウェア開発をマイコン登場以前から進めてきていた。あまり知られては居ないことであるのだが、初芝グループの中でも先進の開発気風をもつ歴史をもっていた。ある意味でベンチャーとしての挑戦の系譜が電電ファミリーに立ち向かうという大きな命題の中で移動体電話をターゲットにして独自の開発を続けてきたことの発露でもあるのだろう。70年代に達成した自動車電話の開発は、初めての電電公社への参入という形になった。当時は、まだ8008が登場するかしないかといった時代である。実際問題として、試作機で搭載していたのは4000シリーズのSSIで構成されたマイクロコントローラだった。性根を据えての開発に向けて先行開発してきた16ビットマイコンや4ビットマイコンを投入して商用モデルの開発を実現したのである。やがて自動車電話の二強としてあらたな携帯電話に続く流れを生み出していったのでもある。
開発マシンとして選択したのは当初は国産のミニコンであった。これには初芝電器が自身としてはコンピュータ事業からの撤退を表明して、それまで独自に開発してきたミニコンピュータチームを国内コンピュータメーカーとの合弁会社を興し転籍させるという取り組みなどが背景にあった。当時、初芝で開発提供されていたミニコンピュータは独自アーキテクチャーで低価格を買われて各社がOEMとして導入しているという状況もあった。私自身そうしたことを西芝での学生工場実習などの経験で知りえていた。4kWのミニコンが、初芝通信ではいまでいうPC代わりのように活用されていてターゲットとの接続やPROMの書き込みなどのツールとして利用していた。また、クロスアセンブラの開発自体は、合弁会社のミニコンをプラットホームとして独自に実現されていった。
やがて8ビットマイコンが登場して、小規模な開発マシンやらICEといったものが提供されるようになり黎明期のように、利用者が開発ツールを開発整備するということはメジャーではなくなってきた。開発ツールを提供するのは主に、マイコンチップセットベンダーか計測器メーカーという図式あるいは、システムハウスとして自社開発用に整備してきたものを投入するといった形だった。初芝通信内でも、システムでもZ80や8085を使い始めたり端末にも6802などを使い始めるようになり様々な開発ツールが導入されていきソフトウェア開発がアセンブラベースであったこともあり共有といった概念が生まれにくいことも事実だった。大規模なシステム開発経験として自動車電話交換機システムの開発受注ならびに納入達成といったベンチャーとしての輝かしい時代を経て、アセンブラーベースとしての物づくりを個々の最適化システムにより達成することが出来ていった。
商用のコンピュータシステムをアセンブラベースで開発した分散マイコンのシステムでリプレースを実現したりと、ベンチャーの勢いをみせつつも世の中からの要請に応えていく開発サイクルの短縮要請などから高級言語での開発により資産共有などを目指すようになってきた。