おくりびと

本木君演ずる、チェロ弾きを目指していた楽団員が、リストラから納棺師という職業に、巻き込まれていく中での葛藤や人間模様・・・。山崎努の怪しげな雰囲気も懐のふかさも含めて、楽しんでしまった。余貴美子さんも好きな女優であり、広末涼子も最近のテレビドラマから見ればがんばっていたという気がする。脚本は、小山薫堂氏であり、あらたな境地に踏み込んだという感じがする。

業界独り言 VOL350 サポートへの期待値

高速クロックで動作するのはマイコンだけではない。世の中の開発サイクルが速くなるにつれて、サポートの期待値もどんどん高まっているのである。クロックの合わないお客様との間では、ビートが生じるか、もっとひどければ同期しないということになる。周回遅れといった事態で二世代遅れた単位でしかチップを更新できないという状況にもなるのだろう。チップセットが高機能になればなるほど、そのためのサポートすべき範囲が広がってしまうのでいわゆるマッハの壁ということにもなってくるのだと思う。

マッハの壁を突き崩すためには諸説があり、共通プラットホーム化という掛声が聞こえてくる。こうした中にビジネスモデルも含めてレディメードのWindowsMobileが良しという考え方もあるし、通信キャリアとしての差別化あるいは従前との互換性が問題だということで進まないケースもある。これ事態が、マッハの壁ということなのかも知れない。すでに、Androidも登場してきたのでLinuxベースで開発されてきた取り組みにも風穴があくことになるのかも知れない。プラットホームを開発していくというからには、その中でも風穴をあけていく位の勢いがないとやっていけないのが実情といえる。

ベンチャー気質で、こうした取り組みがオープンソースコミュニティと相互扶助で確立するのかどうかは未だ未知数ではある。Javaの世界が従来のC言語による高級言語達成による効率化の次に、オブジェクト指向言語としての特性などからさらなる効率改善ということになるのであれば、目指すところといえるだろう。開発方法論も、その取り組みに対してのモチベーションも含めてクロックの高い感性で臨むことが必要条件となってきていて、開発サポートということに対しての問題意識も現場実情を察知する感度も含めて高い資質が望まれている。

サイクル遅れで同期しているかの誤解をもったりしているようでは、同期外れという認識を自身が早期に持つことが必要なのだが、なかなか管理者の立場だと不幸になるのは、いたしかたないことなのだろうか。開発サポートという資質は、幅広く適切な理解を持つことが必要なシステムエンジニアになっていくことが求められていて、とくにお客様との間に立つ者はその能力が研ぎ澄まされる必要がある。この仕事を最初からこなせるようなエンジニアを外部から求めることは不可能に等しい愚行だといえるのだが、管理者にその意識がない限りは続けて不幸のクロックドロップしたようなサイクルで回してしまうことになりさらなる不幸を呼んでしまう。

では具体的な施策があるのかといえば狭い範囲をベースにまずは、開発サイクルをきっちりと持つことが必要であり、専門技術者としての経験を積むことが必要だといえる。お客様との間に立つ担当者というものをすべて各専門チームのリーダークラスに適応させるということがもとより解決策に近いのかもしれない。実際問題、結果としてそのような人選になってているケースを実践してみると、リーダーの仕事にプラスアルファで対応できそうな感触を持つし、お客様に沿った感性をさらに高めていくことが出来るという側面もある。技術バカということではなく全体最適も含めたシステマティックな理解を深めていくことが求められるからだ。

とかくコミュニケーション能力が問われると思われがちだが、言語能力のみでクロックの低い人は最先端の状況においては合致しないエンジニアといえる。大学で英語を学んできても実践と結びつかないので使えないという人が多くの場合であり、少なくとも大学受験を制してきた人たちならばあとは実践で耳を鍛えることぐらいで解決していくのだが・・・。国内の開発現場のエンジニアでも好奇心あるいは向上心の薄い人たちでは結局のところ職責が上がる頃には自分自身の範疇を狭めてしまうケースが多いように見える。

開発に対しての飢餓感がないというのが、日本の組み込みソフト現場のベースなのか、そしてそれはゆとり教育がもたらした弊害なのかも知れない。平和ボケした生活を続けることで正面切って戦闘が出来ないのでは結局のところ、その平和すら維持できずに危機感をもったアジアの仲間たちが追い抜いて行ってしまっている実情になってしまったということを肯定するしかないのかもしれない。外資の先端ベンチャーで仕事をしていると、より鮮明にその差分が見えてしまう。自分たちのスキルセットとお客様のスキルセットあるいは、その競争相手となる他のお客様との差分も見えてしまう。ただし同様に自分たちの仲間とほかの地域とのパフォーマンスの差分についての認識は見えないものなのだろうか。

結局のところ、そうした感性のクロック能力について見極めることが必要なのだが、いままでのこの会社での経験からも見極めるのはとても難しく知己であったとしても、しばらく仕事を一緒にしてこない限りは過去の理解をベースに考えるべきではないと思うようになっている。縮こまった日本の組み込み状況の中で、伸ばしていこうというための活動は、それ自体がクロック高く動作していくことが必要なのだが、重しのようにのしかかってくるクロックの低い人たちとの仕事をどのように解決していくのかは、私自身まだ暗中模索である。

横浜界隈のパン屋ベスト3

銀婚式を前に、午後二時すぎから細君と散歩をしてきた。近在のペスト3のパン屋をめぐるというコースだった。南区に住んでいる私にとって横浜にあるパン屋は豊富だと認識しているのだが、あるサイトで目にした三軒とは。

馬車道のレェグラヌーズ
横浜橋のBellbe
元町のLesSens

というものだった。馬車道のそれと横浜橋のそれは十分認識していたので3番目が気になった次第である。

まずは、馬車道を目指して大岡川沿いを歩き最近はとみに再開発で浄化された黄金町あたりもいろいろな若い人たちの活動が見られるようになっていた。吉田町の裏手を抜けて、今年閉店目前の松坂屋を目指ししばし、有隣堂で時間をつぶした。伊勢佐木町に昔あった丸十ベーカリーはなくなってしまい、いまはヴィドフランスのみとなっている。馬車道のグラヌーズは和菓子屋からの転身でベーカリーを営んでいる。イートインで気軽にできたてのペストリーやサンドイッチそしておいしいコーヒーがのめるというとてもお勧めのスポットである。休日でブランチを自宅でとって午後からの散歩だったのでここではコーヒーとペストリーでティータイムとした。やぶきた茶アンパンはとてもお勧めである。細君はトルティーヤでまいたスパゲッティのロールを選んだ。

馬車道からは、元町を目指すことにして、 日本大通を目指して、さらに山下公園へ抜けて元町をフランス山から攻めることにした。目指すレサンスは元町プラザの三階にあった。フランス料理の店との共同といった佇まいであり、細君は、次回は料理を食べに期待度を高めていた。両端が窄まったスタイルのバゲットとカレーパン、塩味のクロワッサンを試しに求めて元町を戻ってきた。ここには、ウチキのパン屋もあるし、ポンパドゥルもあるのだが・・・。ユニオンで紀伊国屋のパンをさらに買おうとしたのだが本来の目的を思い出して留まった。

元町の入り口からは、いったん中華街を巻くように戻るルートでスタジアムの角まで戻り、横浜橋を目指す。途中に場外舟券売り場が出来ていたのは知らなかった。道沿いのファミレスも淘汰されて最近の安いタイプに切り替わりが起こっている。三吉橋の側から横浜橋を端から舐めるルートとなった。夕方の買い物の人出で賑わっている。ベルベは以前にもあったパン屋からの切り替えで出店したようなのだが、なかなか気の利いた店でちょっと横浜橋の雰囲気とはずれているかも知れないのだが、そこはケーキも置かずにパンのみで運営することで溶け込もうとしているようだ。とうぜんのごとく朝食用のバタールを買い込み、さらにはごぼうのエピまでも求めて夕食の主食はパンで占めることになった。なお、横浜橋には、もう一軒丸十早川ベーカリーというパン屋がある。

ちなみに、2ch情報では、「丸十とは、桜台にある丸十パン協同組合の田辺さん(「田」の字から丸十) の元で修行した職人たちが暖簾分けの意味で屋号につけます。 この田辺さんが日本で始めて米麹・ビール酵母でパンを創った職人さんです。 昔懐かしい香りがし、むにゅうっとしたパンです。主に惣菜パンが多いです。 」とのことです。

アイアンマン

アメリカンコミックのヒーローものらしい、何度となく最近の映画予告の中で気になっていたので結局みてしまった。

予告以上のものはないのかも知れないが、それはそれなりに私にとっては予定調和で楽しめるものだった。

グゥイネスパルトロウとのカップルでポスとセクレタリの大人な雰囲気での付き合いは楽しめる点かも知れない。

また、兵器メーカーのCEOが発明家で、自分たちのやってきた事実に目覚めてパワードスーツを開発してヒーローになるという自己矛盾したストーリー展開ではあるものの、どこかでデジャブな気がしてしまいそうな予感がある。

組み込みソフト

マイコン登場あるいは、その前のミニコンからの組み込みシステムの付き合いである。
ユーザーとしての視点、あるいはソリューションプロバイダーとしての視点、開発者としての視点
色々なシステムの開発経験で培ったことについて少しずつ書き残していくページにしようと思う。

20世紀少年

最近では、Plutoなど手塚治虫さんの作品をリライトしている浦澤直樹さんのオリジナルのロングセラーの漫画である。20世紀に少年時代を過ごしてきたものたちにとっての、21世紀の混迷の中で彷徨っているさまを表しているように思うのは、リアルタイムな同世代のせいだろうか。映画のような手塚さんが始めた構図も含めて今でも正統な漫画の描きてといえよう。

さて、鉄腕アトムに書かれていたこと、子供なりに考えたこと、超小型電子計算機の登場を雑誌でよみ、アポロ計画での月周回軌道からの事故での活躍を知り驚き、そうした端末や技術に触れていくことで進路すらも切り替えてしまったことを思い返す。

今私の机には幾つものHPのレトロな電卓が入っている。当時の価格で考えればとんでもない財産だが、中の構造を見ると恐れ入ってしまうほど豪勢で贅沢なものの作りである。今、20世紀に触ってきた技術との出会いを思い返しながら少年から青年を過ごしてきた歴史を思い返している。

そして21世紀には、この作品に書かれているような世界同時多発テロやカルト教団での事件などが起きていることも驚いてしまう。そして残念なことは、21世紀という流れの中で起こっていることは、漫画よりも陰湿で、凄惨で救いがないような事態が起きているように感じる。なにより一番似合わないフレーズは、この作品でも取り上げられている正義といったテーマかも知れない。

業界独り言 VOL348 コミュニケーションの障壁は文化の壁?

新しいお客様を迎えて、開発をスタートするにあたり所謂、開発着手打ち合わせ(kickoff)を申し出ていた。何ヶ月も前のことである。携帯電話の開発支援というビジネスをどのように達成するのかという点については、Quad社は及第点をもらえる会社だと思っている。

Quad社の開発支援というビジネスが、チップセット販売のためのサポートということで運営されていることから、お客様のビジネス達成に向けては頑張ってサポートするというものであり、お客様との利害関係がより鮮明に出てくる。お客様の成功が当然の帰結であり、それを如何に早くにスマートに達成するのかということになる。

素人のお客様を一から教育してくれというような要請を呑むわけにはいかない。それはお客様自身の問題であり、ある程度、端末開発というものが判っている前提で、プロ同士としてのサポートを互いに要請するというものである。リファレンスデザインを提供しているという立場からもお客様がどのようにカスタマイズして、そのデザインを利用しているのかということを理解しなければサポートなどは出来ない。

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業界独り言 VOL347 チキンと卵

携帯電話業界は、どこに向かっていくのだろうか。クロック1GHzのモバイルプロセッサが登場して重厚な味わいのLinuxやWindowsまでも実用化領域に持ち込もうとしている。無論かつての150MHzでの時代にテレビ電話と3GPPが稼働するような環境を構築してきた所謂携帯電話プラットホームも生き永らえている。より楽しいアプリケーションを実現するための方策とは何かというのは根源的な問いかけかも知れない。何よりも何がより楽しいアプリケーションなのかという問い事態が判然としないし、またその事が判っているのならば既に答えや方向性を見つけているということになる。

CPUのパフォーマンス競争は、インテルとAMDの間である意味で繰り返して進められてきていて、その結果を無残にも食い尽くしてしまうのはアプリケーションやオペレーティングシステムである。携帯電話プラットホームとしてある意味で通信キャリアを軸に垂直統合モデルとして開発が進められてきた歴史は、バベルの塔となり各OEMレベルでの構築は難しくなってしまった実情がある。通信キャリア自身が開発主体になったり、チップベンダーと協力してフィールドテストを積極的に行っていたりもする。

プラットホーム開発の大切さは、北欧ベンダーが自社環境としてOSベンダーを囲いこんでしまうような実情からも明らかだろう。かつての日本メーカーの元気な姿は、そのまま隣国にキャッチアップされてしまった感じが否めない。無論今となっては大きく逆転されてしまっている。鎖国政策をとってしまったツケが箱庭あるいは盆栽の世界を醸成してしまったようである。箱庭のような市場だと見るならば、身の丈をあわせるという方策もあるのだろうが、箱庭ならぬ箱根細工の細密さを求めてしまってきた流れには抗いがたいということであるようだ。

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アフタースクール・ひとのセックスを笑うな

二本立てである。細君と合わせて2000円での鑑賞というのは、心苦しいかぎりである。さて「アフタースクール」オチを知っていても楽しめる映画とは、鈴木けんじ監督の真骨頂だろう。「運命じゃない人」に続く映画で、まあ何度でも楽しめることを細君とまた確認してしまった次第である。堺雅人の危うげさと大泉洋の軽さ、佐々木蔵之介の狂気といったバランスの上で事実を全く異なった視点で誤解しつつ展開されていく流れは絶妙である。田端智子のエレベータでの最後のせりふがこの映画の味わいの一つの極致だろう。

かたや、ナオコーラ氏の作品である「ひとのセックスを笑うな」は永作博美、松山ケンイチ、蒼井優、忍成修吾といった若々しい感じの面々が連ねての作品だった。いったい永作嬢は幾つなのかと疑いたくなるような風貌で、奔放な女を演じている。エルの雰囲気よりも学生臭さを前面に出している松山ケンイチは作品毎に変貌する役者だ。けだるい感じの蒼井嬢と忍成君のやりとりも楽しめた

純喫茶磯辺

宮迫博之、仲里依紗、麻生久美子と更に脇を固める最近の俳優さんたちである。おバカな尻軽の役どころを演じている麻生久美子も、また幅を広げた感じである。宮迫演ずる、夢見る中年の適当でかつまっすぐな生き方も味わいの一つなので結局、仲里依紗との父娘の寓話としてタイトルエンドを迎えた。軽妙な最近の好きな邦画のパターンであった。