自費出版から企画出版へ

「移動通信半代記」「私の出張」という2冊の本を私の前の会社の先輩が出されていた。前の会社を辞めて9年にもなるので、タイムリーに情報が入ってこなかったとはいえ、私の付き合いの薄情さが表れているのかもしれない。反省をしている。今日はハムフェアの会場で、昔の仲間と会い、その際知った次第である。私が知っていたのは最近のRFワールドに書かれていたのを認識したぐらいだったので、そのことかと聞きなおしたところ違うらしいということで帰ってからネットで検索して早速2冊の本を手配することができた。

さて、その先輩は書名にも表れているように移動無線の開発に従事して移動機からシステムまでに携わり世界中を旅して工事をしてきた方でもある。さまざまな経験が「僕の出張」には書かれているのだと思うし、また読めることを楽しみにしている。前の会社は国内の電機メーカーにあってはとてもベンチャー志向の強い会社だった歴史があり、そうした時代を過ごされた先輩や小生も含めて有益な情報があふれていると思う。会社としてのライフサイクルが目的を果たしたような状況だという感触を持たれている昨今、先輩達の話にもう一度耳を傾けることが必要だと思ったりもするのは単なるおせっかいかも知れない。

さて、そんな先輩が定年退職を契機に自分史を書き起こそうと自費出版をする流れで2冊を起こし3冊目は企画出版に至ったというのだから先輩の作家としての資質あるいは経験豊かなエンジニアとしての確かな心眼が認められたということでもあろう。小生も転職を契機に思い悩んでいたことをしたためる展開となり転職顛末を書き起こしてPDFで配布したりもしていたので気持ちは通じるところである。転職顛末に続いて書き起こそうとしたソフトウェアエンジニアとしての20年あまりの歴史を整理しようとしたのだが、あいにくとWindowsクラッシュとともに失ってしまった。事故を契機に少し意識が遠ざかってしまったのだが、先輩の本を読むことで、またムラムラと書きたくなる衝動が帰ってくるような予感もする。

デトロイトメタルシティ

さて、松山ケンイチの作品は、毎回新しい何かを見せてくれるので楽しみである。
今回の作品では、また新たな色を出してくれたのではないかと思った。
松雪泰子のはじけ具合も、この映画の味わいだったと思う。最近の邦画は楽しい。

コミックベースの世の中になりつつあるのが日本の実情なのだろうけれど、国としての仕組みは追いついていないのが最近の諸外国でのコミックブームあるいはオタク文化の広がりとともに問題となっていることに気が付いていないのは、オリンピックでのふがいなさと合致するように感じる。国の政治も一度リセットしていくには女性総理にでもすることが肝要な気がするのは気のせいだろうか。戦争を戦い抜く気概があるのは、ソフトボールチームなどから学び取るべきだと思う。

ジャージの二人

鮎川誠と堺雅人の異色な親子という取り合わせである。
監督は、アヒルと鴨のコインロッカーの方ということだった。

軽妙な進行と、背景にあるものとのミスマッチなどが面白く楽しめた。
繰り返し見てみたい映画だ

里帰りのC3-PO

C3POといっても、スターウォーズではなくて1984年に当時の組み込み8ビットマイコンの潮流だったHD6303に合わせてMicroC6809をカスタマイズして並のアセンブラ以上のコード効率を追求した実用型のサブセットCコンパイラのことです。本サイトでも紹介してきましたが、管理の杜撰さで最近サーバーから失ってしまっておりました。

ネット上をググっておりましてから、青春の記念碑的なものを喪失してしまった感傷にひたっておりましたが、拙作のものを保管されて組み込み趣味を実践されている方のサイトに出会い、4年ぶりの遭遇と共に最近の一年あまりの喪失を一気に取り戻させてくれる嬉しい事件でした。インターネットのつながりは良いですね。

Cross C Compiler Processor Orientedという長ったらしい名称をこじつけて C3POと呼んでいた次第です。

今、マニュアルを読みなおすと、細かい間違いなどに気が付きますしコンセプトとしての組み込みのハードウェア状況が変わってきた中で、現状にはそぐわないと思う部分もありますが、当時の組み込み状況では十分な機能だったと思います。64KBの空間しかない端末開発をC言語で実用化したという実績は十分なものだったと思います。当時の最初の製品は16KBのROMと2KBのRAMだったと思いますし、6303Xのみで作った道具もありましたから・・・。16KB ROM(ext)/192B RAM

業界独り言 VOL344 携帯電話開発共済という考え方

携帯電話というビジネスを回していく上では、必要な技術として3GPPあるいは3GPP2にまつわるプロトコルセットとしてのソフトウェア技術・サービスとして各キャリアが行っていることに呼応できるローカライゼーション・携帯端末としての消費電力を見つめた上でのプラットホームアーキテクチャーの構築・開発環境としてのプラットホームのデベロッパーへの寄与公開などが必要となる。いま私が身を置いているQuadという会社では、携帯電話に関する所要技術に関しての開発共済とでもいうようなビジネスモデルを実践している。Quad社のビジネスモデルは、現在の国内での厳しい携帯電話開発という市場に照らしてみてもリーズナブルな内容と映るのだがパテントベースでの横暴とでも映るのか実際の恩恵の享受という評価などは抜きに固辞するという流れが多くみられる。

日本という鎖国市場において歴史上のバンドリバートという政策決断からハードウェア的にも独自の道を選択してしまうことからガラパゴス島と同様に扱われてきた経緯がある。無論日本が世界に展開していきたいという目論見から所謂IMT-2000に向けて取り組んできた流れを断ち切ってしまうことになる契機を与えたのもQuad社かも知れないし、IMT2000への道を示したのもQuad社かも知れない。日本という狭い国土の上で異様に膨れ上がったニーズをすべてセルラーに押し込めることになったのはある意味でDoCoMoの奢りといえるだろうし、せっかくの国策で開発してきた新しいインフラであるマイクロセルのPHSを駆逐する必要もなかったはずである。技術展開して国策として加速していく上には目の上のたんこぶとなっていたのかもしれない。

まあ世界的な流れでいえば1999年3月の集約の手打ちということになり3GPP/3GPP2が共存するという形になり、欧州では必要のない3GPPへの移行などがなおざりになったのは現行システムが容量破たんという事態ということになっているわけではなかったからでもある。DoCoMoが一生懸命に標準化活動をしてきても国際的な温度差も含めて実用的な状況にいたる過程での時期という観点でいえば尚早だったのだろう。容量解決策としてのPHSはお取りつぶしというような意識で考えていただろうし、相互補完するはずのものがコンペティターとして消去せざるを得ない状況になったのも悲しい話である。日本中の電信柱やアパートの壁にISDNのネットワークを張り巡らした様は陳腐な文化の隘路だったのか・・・。

開発を共同で出資して、行い完成物を無償ではなく有償公開することで保守運営をしていけないのかというような実験的なアプローチについて考えてみる。個々の会社が開発投資することに対して不採算とみられる昨今の携帯電話の開発が集約されて日本としての組み込み開発のペースとして共有されるのならば如何だろうかというものである。こうした開発成果物が有償公開することで還流運営が叶うのならば、意義深いものかも知れないが、現実には、そんな結果にはならないのだろうか。開発成果を理解しうるだけの人材を保有するだけでも実際には大きな問題であって現状の日本のメーカーではそうした体力知力が伴わないらしく、新興の団体でそうしたことを実現するのもより難しいということで結ばれてしまいそうだ。

業界独り言 VOL343 サンダル原人、再び現る

久しく聞かなかったいや見かけなかったサンダル原人が、あろうことかサンディエゴで発見された。早速インタビューすると、長年個性と信じてきた高尿酸値の結晶がついに完成してすごい痛みを伴い、靴が履けなくなったそうなのである。現地で、知り合いを篭絡して、昼飯を馳走するとして呼び出しサンダルをショッピングモールで買い求めるという大胆不敵なスタイルは、かつて港北地区で見かけたサンダル原人と同種のDNAを共有するものらしい。

かつての種は、毎日何度も、私財を投じて社内の喫茶室を使い、自己投資として、出入り納入業者に対して、前向きな形での今後の志向する技術動向についての指針を示すことで、納入業者が自ら色々なサポートを講じたくなるという高度な技能に長けた原人であった。貨幣価値の異なる用語を用いて業界実体と会社実体をFX取引のごとく幻惑させてきたスタイルは、実際に誰も損をすることなくうまく情報や技術が共有されるメソッドだったのだが、そうした技法は会社運営から評価されることは無く、早期退職を課せられた上で現業職を嘱託として実施するという状況になったという。卓越した人徳の持ち主でもあるサンダル原人は、そうした状況でも仙人の如き達観した落ち着きを持ち日々心を落ち着かせながらもくもくと業務を進めているという。

そんなサンダル原人のうわさも、風の便りになってしまった昨今、西海岸のサンディエゴに登場した新種のサンダル原人も同様なDNAを共有する趣がある。経済技術開発活動の潤滑油としてのスタイルを良しとして、進んで難しいテーマに進んでいくさまは、どこかの中世の寓話を思い起こさせるものでもある。かつて、仲良し開発共同グループを通信業界に生み出したサンダル原人をはじめとする先達の動きを再実践させ、その実現に身を投じているさまは、滑稽と映るかも知れないが、サンダル原人のDNAにとっては狂信するいや共感する活動なのである。資本主義の下での自由競争についての疑問が起こりつつある昨今、こうした共同組合のような活動で実際の製品開発や技術共有がなされるのは、オープンソースでの開発とは一線を画するものだといえよう。

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業界独り言 VOL342 組み込みからプラットホームに至る道

携帯電話業界は、縮み上がりつつも採算確保と業容拡大の背反する要求をうけての状況が続いている、オープンプラットホームを受け入れる人もいるだろうし、専用プラットホームを開発追及している人もいる。共通する点は、小規模なOEMが独自プラットホームを開発する時代ではなくなっているということである。通信キャリア=特定OEMといった図式のケースもあるだろうし、共通のプラットホームをメーカー間でシェアしつつも採算の観点から見直して勇退をされたメーカーもある。プラットホームとしてアプリケーションベンダーに対してリーダーシップの労をとりつつ、新基軸を追及していくということの道は険しい。

プラットホームとしての基本設計に取組見直しが出来るチャンスは、もうほとんどありそうもない状況に陥っている。 とはいえ色々な工夫の余地は残っているはずで、技術者としての好奇心が疼くテーマはあるはずなのだが、なかなか好奇心とビジネスが一致するということは難しく経営陣の戦略を巻き込んでの展開が求められている。Quad社のようなチップセットあるいはプラットホーム・ベースソフトなどを提供する立場にいるとそうしたお客様経営陣の思惑や葛藤を見ることができるしそうした中での次善策の提案なりコンサルティングといったことも仕事の一環となっている。

提供するチップセットの性能・プラットホームの柔軟さなど、いずれをとっても結局お客様が商品としてサービス提供に至るまでのオーバーヘッドをとらえた上での競争力を改善することに繋がることで採用の判断をしてもらうことになる。ゼロからのスタートをするお客様は、逆にプラットホームなどは既存の範囲でリスク追及をしたくはないのでASISでOEMに依頼することになるし、過去がある人は、しがらみに縛られた上で世の中の流れであるオープンな雰囲気と自己追及したい改善の狭間に立たされている。ユーザーから見た目のサービスにどれほどの差異があるのかということや、携帯電話がこれからどうあるべきなのかといった事への拘りなどがキャリアあるいは巨大メーカーの目指している差分になっているようだ。

その開発方向の行く先に見える想定される問題や実現時期に思いを馳せた上での技術的な企画創案をするCTOもいるだろうし、現在までの開発投資の集約から拡大していく開発投資に大きな判断を求めているキャリアもいるようだ。国内でのシェアのどんぐり競争も退場者の登場やブランド貸しなどの流行で報道からは、大きく見えてくるのは強い意志をもつメーカーの取り組みぐらいになっているようだ。通信キャリア毎に取り組んできたベースリファレンスデザインの上に構築してきた自社プラットホームアーキテクチャをリセットする気概というかリスクを負ってまで踏み込めるメーカーは少ない。過去にもなかった訳ではないが、そのギャップとビジネスとしての短期的な成果で埋没してしまったケースもあるようだ。

技術競争の質は変化してきているのは、iPhoneなどの登場でも明らかなのだが、ハードウェアでの性能差別化に終始することしか考えられないことについての不安感はないのだろうか。最終目的と現状互換性の狭間でますます混迷の度を深めていくケースも多いのだが、仮想化をさらに推し進めて過去との互換性についての基軸を変えるべきだと感じるのだが、仮想化のオーバーヘッドにのみ注視していて、その矛先を押し曲げていることについては悲しいものがある。気がつけば32ビットマシンとしてのアドレス限界も見えてくる状況なのだが、携帯電話あるいは端末で64ビットの世界にまで整理もつかないままに移行することは出来ない。

端末ソフトウェアのアーキテクチャを新構築していく流れを提案しているのだが、現状設計での性能や問題点の整理が、まだユーザーレベルではこなれていないのも仕方がない状況である。組み込み環境という特殊性の中で、オープンソースな開発スタイルが導出しうるゴールが時期を全うするものになれば、良いのだが自社追及していく一つの方向性の中で、乗ってくれるパートナーとなるお客様を教育説得して利益を享受していただくための下支えをしていくというのは、なかなか難しいコンサルティング技術が必要であり、素人を説得して、実務としての利益成果をあげていただき、かつそれを無手勝流で仕上げていくという、途方もない仕事かも知れない。

業界独り言 VOL341 組み込み最前線を訪ねて

過日、組み込みの戦友がやっている、北千住のシステムハウスを訪れた。初めて降りる北千住の駅は、さまざまな電車が乗り入れる都心へのハブとなっているようで、下町の雰囲気と都心へのゲートウェイとがミスマッチしている印象が、また素敵だった。ここでは、マイコン創成期からの付き合いの方たちが、今では会社を興されて若い組み込み技術者を迎えながらも現役で働いていらっしゃる。社長のUさん、取締役のIさんは時間を越えて現役でソフト開発をされているのである。

組み込みのソフトウェア開発での仕事というのは、最近の状況では単発短期の小さなものばかりになってきているそうで大変な様子である。クライアントであるさまざまな会社での技術実体が空洞化が進み、単に管理のみになって理解なき状況下での管理先行という、悲しい状況がさらに悲哀を生み出しているようである。システムものという分野があり、コンシューマー用途とは異なり長らくサポートを必要とするものである。こうした分野にこそ組み込みの意義があるのだが、自前で起こしたと勘違いしたようなコンシューマーからの流用ケースを保守する状況を押し付けられるらしい。

具体的な話で言えば、最近は携帯でも話題のWindowsMobileの前身であるところのCEを用いた端末装置の増設といった流れで過去の設計を流用して適用開発したいというのである。Versionはというと、2.11とかでリモートデバッグすらも出来ずにいまさらながらにiCEでSH1のチップセットと対峙することになるようだ。当時を思い返してみれば、MSが組み込み業界に殴りこみをかけたかの印象があったのも事実だがMSという風呂敷の中ではPDAクラスの開発規模と寿命を想定してのビジネスモデルであって、長年つかえるソリューションではなかったのである。

実際のメンテナンスというか新規開発の厳しい条件として課せられた、その開発には開発に必要な技術資料すらも手に入らない状況で、ようやく学校の図書館の書庫から当時の雑誌やらを探し出しての対応で実務に漕ぎ着けたようである。そんな状況が、クライアントの会社の実情を物語っていて、その会社での技術力というものが存在しない、仕事単位での村社会を構成しているというのも寂しい話である。隣が何をしているのかも知れない、開発した実績や共通化の話などいくらでも活用できるチャンスがあるのが、そうした大メーカーでの差別化要素なのに、実際のところ各自の仕事の範囲で責任を殻に閉じこもってしまうという体質らしいのだ。草葉の陰で悲しむ大先輩の人たちが多いのだろうと思う。

与えられた仕事をチャンスとして自己の挑戦をしていくというのが、本来のエンジニアとしての取り組みだと思うのだが、それがなければ単なる役所仕事である。何が楽しくてそんな役所仕事のようなスタイルに閉じこもってしまうのだろうか。楽しそうにやっている先輩をみつけて、その背中を仰ぎ自らも挑戦しつつ教えを請うといった絵などは、とうてい現実から乖離しているということらしい。本当にこんな会社ばかりになっているとは考えたくもないのだが・・・。エンジニアとして暮らしてきた時代がマイコン創生からバブル越しまでの中で現場にいたということ自体も異常なのかも知れない。
どこかでソフトウェア技術者の30才定年説を説かれていたが、そんなことは世界中で日本でしか言われていない話であり、ガリガリとコードを開発されている方々に定年はないのである。 世の中のシュリンクしてしまった印象のある組み込みソフト開発の実情については、結局のところ仕事をインプットする側の問題としてさまざまないじけた状況が誘因となっているようでもある。会社の横串を通したいといってネット活動ならぬ、情報誌活動などをしていた時代から考えても後戻りして腐ってしまっているようにみえる。インフラはいくらでもあるのに何故なのだろうか。

作り上げたい製品がバベルの塔の先に行ってしまい、完成するまでにリソースが尽きてしまい泣く泣く出荷を余儀なくされるといった図式がそこかしこで起こっているように見える。先のシステム商品を開発しているという野武士のようなDNAを失ってしまった会社と、携帯開発の最先端にいる人たちの意識も似通っている部分がありそうだ。もっと強い牽引力を果たすための仕事の仕方なり刺激の与え方というものについては考えて対応していくことが必要なのだと思う。意識ある経営者の下で働く組み込み開発の担い手たる若手技術者との数時間の語らいの中で彼らがスポンジのように吸収してくるコミュニケーションを通じて飢餓状態となっているこうした若手をもっと導く仕事を引き出す政治などがあるべきと感じるのである。

知らなくてもよいこと、知りたくはなかったこと

表題のような事由が、世の中にはいろいろあるようだ。

四半世紀近く前になるが、●×山の事故なども、そうしたことのひとつだろう。

この歳月のはてにひょんなことから聞こえてきてしまった事実は、某国との関係を破壊するに等しい事実だったりもするのだろう。

歳月のはてに当時、おさなかった関係者の子供が実は、仕事の仲間だったりするのも人生の不思議だ。幼かった子供時代の記憶ゆえにより鮮明に、彼は覚えているのだろうし、正直に不思議な、その駐留している国の対応に対して不思議に思うのだろう。

駐留されている国の対応は、昔から変わっていないし、駐留している本国の本質も実は何も変わっていない。

自分たちの驕った感性のままに、利益追求だけをしていき、やりたい放題の様は、テロ攻撃すら逆に利用しているとさえいえるのだろう。世紀を超えて働きながら悩んできたことのペースを崩されてしまうような事態の中で自身の気持ちのよりどころを見失ってしまいそうな喪失感すら感じるのである。

世の中とは、こんなにも矛盾に満ちた虚構の中で構築されて運用されているものなのだろうか。 911というキーワードにひっかけて劇的に世界中を陥れている某国に対して、経済上の関係でしか対応できない情けない状況を受け入れて脳天気な平和九条を繰り返す民族に貶めてしまったのは某国の完璧なる勝利ということなのだろう。

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新年を超えて、春節も過ぎて

業界独り言を9年も書き連ねてきて、ふがいないという状態だといえる状況なのだろう。まあ、訃報が届かないので元気にしているのに違いないと思われていることでもあるかも知れない。一昨年から続いてきた端末開発の大きなプロジェクトが一応の製品化に漕ぎつけたのだからよしとすべきだろう。家族との時間も、かなり犠牲にする状況のなかでたどり着いた世界は、まだ序章に過ぎないようだ。

チョコレートとイチゴの季節というバレンタインデーは、我が家では別の意味もあるので一段落した中でほっとした時間となった。