VOL80 CMMレベル4は性能もコストも改善 発行2001/2/9

ソフトウェア開発プロセス改善が携帯業界で吹き荒れそうだ。開発プロセスを見直していくということが1番忙しい業界になぜ適用が進もうとしているのだろうか。ソフト開発プロセスの改善を推進していくというテーマを提示されつつ、こうした動きとかけ離れていったことを思い返してみると、やはりそこには必然があったのだと今更ながらに感じる。開発プロセスがうまく動作している会社も、定義だけは成されていても実態がない会社も知っている。

開発プロセスレベル4の達成が出来た会社がある。そして製品の品質もそこには明らかにスペックからも見て取れるほどの差が顕在化している。自分達のプロセス自身の再定義なども含めて実現できるためにはトップ判断も含めて会社としてのコミュニケーションの素速さや情報共有が出来る必要がある。硬直化した組織では、組織も含めたプロセス再定義などが出来ないからでもある。こうしたことまでの達成イメージの共有を経営トップとの間で最初に共有しなければならないのだろう。

一度動き始めた開発テーマ自身も、成り行きに沿って書換えるぐらいのことも必要なのかもしれない。こうしたことは政治家の世界を見ても一度決断したものを止めることなどは出来ないのは人間の性なのかも知れない。実際には、続けるべきテーマでありながらも会社としての利益率確保などから期末近くには予算削減が周期的に起こることなどは既に組織としての革新時期の到来を告げているのかもしれない。

最終ユーザーが見えないなかで開発されたと思しき製品も見受けられるようになった。テーマ設定・レビューといったフィードバックあるいはフィードフォワードなどをうまく機能させる為にもCMMでいうところの軽快なプロセスの稼動は必要なのである。一度決めたプロセス定義に縛られる必要は無いのである。一年100万台の企画商品と10年で1万台の企画商品とを同一のプロセスに分類していくことが出来るはずも無いのである。しかしだからといって起こった技術成果の共有が出来るようにしなければ、無尽蔵とも思われる飽くなき開発リソースの要求を止めることすら出来ない。

人数が徒に増えれば、バベルの塔の例をみてもうまくいくことは絶対にない。開発費用も増大したうえで品質は落ちるだけである。同一の開発リソースの投入にもかかわらず出来上がる成果に大きな開きが出来てしまうのはソフトウェア開発プロセスへの理解をしたうえでの投資をするかしないのかに大きく関わっていると言われてきた。そして実際にそうした実績が見えてきてしまった。明らかな差が白日のもとに曝されることになってしまった。

ただ忙しいだけと思われてきた手をつけてはいけないという言われてきた携帯業界での開発生産活動について、ドル箱の開発生産活動こそIT投資を行いプロセス改善と情報共有が出来るようにすべきなのだ。ドル箱と思われた事業が突然首位を追い落とされる事態などが、品質や開発活動のプロセスあるいはビジネスモデルも含めて見直しを迫られるというのが21世紀に入って明確になってきたようだ。

これからでも遅くは無いのだから、早くに気づいて是正を行うべきである。ブランドを壊してしまったあとでは遅すぎるのだ。開発プロセスを容易に切り替えてしまうということは実は撤退も鮮やかな会社なのかも知れないが、実際には開発した技術をそうしたことで失ったりしない点が異なるのである。そうした点で捉えてみると事業部制ということが時代からも当て嵌まらなくなってしまったのだろう。

VOL79 シンプルな感動で目を回せ 発行2001/2/8

iアプリが始まっている。電車でも黒赤緑の紙袋を抱えながら、説明書を読み耽る光景が増えている。コマーシャルも始まっていて、よく目を凝らしてみると実はFというマークが目に入る。なぜPではないのかと勘ぐってしまった。それなりに理由はあるのだろうと思う。ただし、電車でみる光景はPマークの取設を読んでいるように見える。続けて出てくる機種は、さらに改善されてくるに違いないと思う。

自分で作ったアプリを携帯で動かすことが出来るのはある意味で凄いことだと思う。歴史に残すべき事由だと思う。ハッカーたちが腕を競って楽しいアプリを競争して作るという世界になるのかどうかは別問題ではあるが、DIYの雰囲気を醸し出すということも手伝ってJavaの搭載は新たな文化を生み出すと感じる。ソフトウェアのプロの方たちがこうした世界であまりにも足枷が重いなかで性能のバラツキも含めての市場がどうなっていくのかは想像に難くは無い。

最近、ケイ佐藤が楽しそうにしているのだ。一つはお茶を濁さぬ戦略の萌芽が見えてきたかららしい。彼はVisorを使ってその楽しさを伝道者として伝え歩いているようだ。確かに、彼のVisorに組み込まれたアプリケーションを見ると目を回すのだ。16MHzのモトローラで出来ることが実はとても判りやすい楽しさで正に目を回すこと請け合いなのだ。

世の中の携帯での開発ベースはすでに腕自慢の世界に移行しているのは確かなので職人技に拘ってコストを抑えるという16ビットな戦略をとれるのはブランドを確立したメーカー以外は中々とれないのも事実である。苦心惨憺してゲームを動かしたりしている光景と楽しそうなケイ佐藤のVisorの風景にはギャップがあるのだ。

お茶を濁して懐かしのゲームを楽しむのもよいのだろうが、ケータイならではのアウトドアと、ネットを一体化した健康に留意したゲームなどはコンビニデートを楽しんでいるカップルをピンポンの世界からリアルワールドに有益情報を仮想的にマッピングする技術などで、まさに目を回すことが出来るようだ。こうした世界をいち早く体感している彼は、この楽しさを伝えたくてたまらない様子である。

VisorにもJavaTeaを楽しむことは出来るのだが、このレベルよりも高速に待ち受け状態であればcdmaでのJavaも動くらしいことは判ってきた。Visorで目を回す楽しさは当然、Nativeで動作しているものであり、ケイ佐藤が言わんとしていることも実は現状のチップで実現できるらしいというのが彼の笑いが止まらない理由なのである。

私は、この楽しさを伝えられるのは実はアンアンあるいはピアといった雑誌で日常的にタイアップしていくものなのだろうと考えている。そうして、最近コンビニで人気の懸賞雑誌もなくなってしまいねない可能性がそこにはあり、日常の散歩そのもので毎日得した気分になってしまいかねないとさえ考えているのだ。卓球カップルもよいが、私は自分自身の趣味でもある発見の多い散歩の世界をお勧めする。

Gooの音も出ないくらい楽しい世界が起こるかもしれない。実世界にマッピングしたサービスは想像だにしない新たな世界を見せてくれるかもしれない。まだ見てはいないのだが、アヴァロンがそうしたものに近いのかも知れないなと勝手に思ったりもしている。基礎技術を押さえることで、健全な世界で楽しめるという文化創生が出来れば、最近のコミュニケーション能力の低下したアンビリーバボーな世界から脱皮出来はしないかと勝手に思いをめぐらしている。

どらえもんポケットの楽しさを是非享受してもらいたいものと、ゆったりとお茶を飲みつつ独り言を話しているのだ。私達は楽しい世界を、地元に根ざして構築できるに違いないと確信している。地下鉄で暗くメールを読み書きするのも良いだろうが、明るい太陽の元で友達と語らう楽しさを、未知なる町を探索する散歩の楽しみを、あるいは突然梨元さんになってしまう楽しさも考えると眠れなくなってしまいかねないのだ。

あまりにも楽しいので、何かデメリットが発生するに違いないと考え始めた。そしてデメリットを生じる人を味方につけて、その人たちがメリットを享受できるようなモデルをすることで確実にしていくことが、そのための策であると考えている。良い案でも、こうした配慮をしないとデメリットを生じる人たちの手で潰されてしまうことも考えなければならないからだ。

ケイ佐藤が伝道者として説くさまに対して、「あまりに面白すぎるので今の製品が売れなくなってしまうのでしばらく手をつけないようにしましょう。」というひとが居たという事実を私は、業界の病巣のようにも感じている。

VOL78 誤解と納得のなかで 発行2001/2/7

メーリングリストの運営に切り替えてから実は、一切メールが配送されていないという恥ずかしい事態を経験した。気づくまでには、私自身は、レスがないなあという思いであり。配送している同僚も新環境に慣れるのに時間がかかっているからかなというような誤解をしていた。会社の中ではこうした私的MLを運営していることは明らかにしていないのである。会社のためにしているわけでもなく業界の動向のなかでふと漏らしたい独り言なのである。

独り言に対するレスが無くても普通なのであるがため息を漏らすときには、同僚がいるのは心強いものである。読者の中には、「ああ最近こなくなったわね、新年から配送リストから削除されたのかしら」と、納得して意気消沈している人も居たらしい。誤解と納得で相互のフェーズが埋まっていたのだった。たまたま、こうした状況を打破したのは年賀状メールが種々の事情で遅れた若手技術者からの便りだった。一時的独身同士でもあったので食事でもしようかというのが実は真相であった。

お客様の忙しさとサンディエゴの忙しさの相互のおすそ分けをもらいつつの忙しさがありつつも時間的には余裕が出てきてもいるので、考える時間としての独り言を認める時間は大切にしたいと考えている。コミュニケーションのベースにあるものが変わらずにあればいつしか誤解と納得が解消されるものだと勝手に解釈している。コミュニケーションをプラスの目的で捉えている限りには何かの事由により解決されるのだと思う。

反面教師として社内のなかのコミュニケーションでうまくいっていない人たちも見つけることができた。彼のスタンスは、会社としての拡大路線に反対しているのでプラス指向で捉えないことが起きやすいのである。こうした人の行動が引き起こす問題は、引き起こした本人の意識とはかけ離れた問題を引き起こしてしまうことに陥る。当然、本人にそうした意識はない。会社全体の意識を高めていくことに取り組んでいくことはどうしても必要なものであろう。会社が安定期に差し掛かってくるときにこうした問題が露見してくるのだと思う。

私自身は、まだまだベンチャーな気持ちで過ごしているし、そうした気持ちを共有しているケイ佐藤らとのコンビネーションを支えようと努力している。個々の位置付けや組織は異なるものの私自身の理解やスタンスについては臆するところ無くいつでも発言するようにしている。素直な自分の気持ちを説明していくための論理立てた説明・解説を英語で行う事も発生するのだが、私の表現力不足で悪化することが無ければとは思うのだが・・・・。プラス指向の気概があれば、不思議と先方も聴こうとしてくれると感じている。

起こっている現実の動きを全体としてプラスにしようと考えているのだが、マイナス指向あるいは現状肯定型の人たちから見ると「リスクを背負うことはない」という通り一遍の姿を見せられてしまいベンチャのQuad社にジョイントした私の気概をそぐための神様からの課題提示であると最近は自身に言い聞かせている。哲学の領域からこうした考えの人たちをも味方につけることをテーマとしている。この携帯業界を変えようとしている私たちにとっては、トップレベルの異才と取り組みが求められている。

誰か、私達の○-MODE事件の主人公になろうという人はいないだろうか。

VOL77 ケータイは氷の世界 発行2001/2/6

携帯開発業界の様相が混迷している。どこのメーカーも社内人材流通革新を図り始めていたのだ。半年足らずでDOSの無いようなPCにアプリケーションを整える所までに仕上げるという大目標の中で凍てつくようなICEの世界である。慣れぬ手つきでICEの世界で暮らす彼らには、見知らぬ土地に迷い込んでしまったようなものであろう。16MBにも達しようという勢いのソフトウェアを纏め上げていく上では、効率の追求もともかく動作させなければならないという現実が厳然とある。

コミュニケーションする為の端末の開発には、バベルの塔の建設のごとき色々な国々の人たちとの会話なしではなしえないという現実がある。見過ごしてしまいつつも収穫の時期には出荷せざるをえないというのが農耕民族の悲しさであろうか。青いものがまじる麦かも知れないし虫のつくほど美味しいお米かもしれないのだが。農耕作業なので農耕機械の出来不出来は大きく収穫に影響する。かつての農耕現場で活躍していたリアルタイムトレースができて、ストップもステップも思いのままという機能を持ったFullICEは大味な時代までが全盛期だった。

全盛期をしる管理職の人々はかつての自分達の苦々しい経験のなかでFullICE教の伝道者となっている。ソフトウェア開発をスムーズに進めることとは、ハード完成度の向上であるのだが、簡単にハード確認の出来るFullICEはハード屋にとっても福音である。簡単に確認したハードウェアの完成度がどれだけのものかは別にして、同じように簡単に確認して結合してしまったソフトウェアの難しい結合テストやハードな扱いのなかでICEと供に生き延びてほしいボードの面倒を見るのがハード屋の仕事になってしまっていた。FullICEと開発ボードの確保は、プロジェクト生命線でもある。

無線端末の多くは、無線機が要求する周波数との最小公倍数のようなうまい周波数でマイコンを動作させてきた。いくつかの組み合わせが存在する場合には低い周波数を選択して低消費電力を図るメーカーと、高い周波数を選んで処理能力の余裕をみようという二つに分類されるようだ。最近は、アプリケーションが高機能になり無線機で要求する周波数よりもマイコンの周波数を高く動作させるようなPLL内蔵のマイコンも出てきている。マイコンのクロックとロジック設計とは非同期になりつつある。

クロック高速化でボトルネックになるのはICEのバス切り替えロジックなどである。安定動作を求める中でJTAGあるいはさらにETMといった機構の組み込みなども一般化してきている。JTAG+ロジックアナライザという機能構成のものも出始めてきた。こうしたことで携帯のような小型高密度の状態のハードウェアでも安定なデバッグ環境が構築できるようにはなってきた。しかし、ケータイにはまだ問題が山積している。

スリープクリスタルと呼ばれる32kHz程度の低周波数で待ちうけ動作の電力を減らすといった技術も一般化しているのだがJTAGで制御するICEのUIなどが携帯のこういった面を理解していないので、うまく制御できないICEとツボを押さえてあるものとがある。デバッグしている現場を良く知らない管理職の方が政治的にICEの選定などを好意的に手配されたりすると悲劇を生んでしまうかもしれない。上司は、潤沢な環境を与え現場を叱咤するだけなのだが・・・・。

デジタル通信端末の開発をしていく上では規格化されたメッセージなどの内容をICEが的確にUIで表示したりすることも必要な条件である。C言語環境が提供するシンボルをうまく取り扱ったものではenumで定義したメッセージ名を的確に表示してくれる。変換表などは不要である。ソースを開いてブレークポイントは張れるのが当然であるが、データの領域で思考通りに視覚化させることの重要性はあまり認識されていないように見える。

実際の機器組み込み状態でもJTAG機構のみで十分にデバッグできることもあまり認識されていない。またこうした環境ではFLASH書き込みのための機構も必要である。プリンタ接続ケーブルで簡易に接続したJTAGデバッガが、FLASHを高速に書き込める工夫がしてあったり、シンボル処理が優秀なUIを持っていると非常にバランスのよさを感じたりもする。

キャッシュ内蔵の時代にもなりはじめていて、デバッグする測定方法論もより吟味される時代になってきたようだ。ある意味で究極のデバッグ方法ともいえるコードインスツメンテーションと呼ばれる技術などもJTAGあるいは組み込みチップとして考慮すべき段階になってきたようだ。

しかし、ICEの使用台数に正比例してソフトウェアのリリース日程や工数が増えてしまうような現実があるのはいかがなものか。今日も匠の技でシリアルケーブルあるいはLED信号をオシロでみてデバッグしているメーカーは1機種10名たらずのソフトウェア技術者で次々と開発を進めている。何か時代がタイムスリップしているような印象さえある。

VOL76 新たなビジネスモデルを考える 発行2001/2/4

独身生活に一時的に立ち戻る中で、旧い仲間達との食事をすることに時間を割くことが出来るようになった。”法人割引あります”と書かれた居酒屋で若手や次世代の旗手などと話をした。無線システム商品の開発をビジネスとして捉えてきた初芝通信の直系の本流の仕事している恐るべき技術集団でもある。かつて、横須賀の研究所から一笑にふされた分散型電子交換機の開発を成し遂げた奇跡の流れの末裔でもある。

世の中の技術者のレベル低下なぞ何処吹く風で精鋭の技術者達が無線プロトコルの開発から端末・基地局それを構成する小規模電子交換機・ネットワークまでも開発成し遂げることが出来るのは流石である。PaloAlto研究所も恐れおののく集団である。業界独り言を書くようになって携帯業界の開発の舞台裏を支えつつ認識していた状況とは、異なる悩みに陥っていた。おそらく1000から10000台規模のシステム構築をフルターンキーで開発できる人たちが・・・・である。

システム事業という観点でみた顧客対応するカスタムシステムを構築するというビジネスモデルが立ち行かなくなっているのだという。果たしてそうなのだろうか。携帯で成 立していると思われるこの会社の歴史は、無線という事業によってたつシカゴにある米国の会社のそれに似たような背景がある。アプリケーション応用という観点でみれば、大阪の本社を中心とした全国規模の丁稚達によりニッチな市場を纏め上げてキャリアまでも事業として構築してきたのだが・・・。

端末事業などを進めているとシステム的な開発力の不足がフォーカスされてくるが歴史の流れから最近では研究所のビジネスを個別最適化を目指して支援していくかたちになってきていたことなどが影響しているのだと思う。他方、システム開発を進めているチー ム存続は量産というよりもプロトタイピングの範囲で済ませなければということになってきて、周囲から浮き上がってしまようだ。開発のプラットホームを叫ぶ彼らの意識は事業部の他組織から理解されないで居る。

システム開発力を標榜している初芝電器にはソフト軍団を統括してシステム件名への対応をしてきた歴史があった。新社長の方針で工場と開発部隊の分離ということが掲げられてることもあり、システム開発を進める別組織として独立して事業部を生産工場として 使えばかれらの開発力を会社全体に生かせるのではないだろうかと話は盛り上がった。こうしたプラットホームの話などを共通解として感じるQUAD社と初芝の中でそれに取り組んでいる彼らの環境を取り巻く差異はビジネスモデルの差異なのであろう。

彼らが自分たちで新しいビジネスモデルの中で産声を上げてもらえたらと感じてい る。システム開発という仕事でフルターンキーの開発能力がシステム事業部の工場の生産効率などからミスマッチしてきているのは業界のほかの会社からみても、実に奇妙なものである。

VOL75 インテルはマイクロソフトの夢をみるのか 発行2001/2/1

新製品発表・新技術セミナー開催と目白押しの週明けとなった。通常ならば、ホテルでの大規模な説明会となったりもするのだが、今回の新製品は、繋ぎの製品でもあり幾つか絞った形でメーカーの参加となり広くなったオフィスでの開催となった。時期を同じくしてQUAD社本体での新規事業の立ち上げなども手伝い忙殺された二日間であった。米国の仲間達も多くきてくれたので新人達のモチベーションも高まった日々であったようにも思う。

さて先週の水曜からの独身生活も一週間を経たのだが毎日のいろいろな出来事の中でまともな食事を自宅で試みるということもないままに過ぎてしまった。週末は、従兄弟の家に押しかけて久方ぶりに呑んで話を交した。QUAD社に入って以来伺ったことはなかった。ひげ面に驚くとともに、時の流れを埋めるべくすごした。翌朝はまたも雪になった。埼玉の奥地から、入院生活をして椎間板ヘルニアのリハビリをしている嫁さんの病院への見舞いに駆けつけた。

実は、昨年来続けてきていたQUAD社の流れの中で大きな取り組みがようやく記者発表の段階を迎えたようだ。異なる事業部での取り組みではあるが、Q社としての取り組みに違いは無く私の所属する事業部も含めて日本のお客様も巻き込んだ形でiモード事件を越えることになるかも知れないし、その逆かも知れない。しかしそうした危うさのなかで夢に向かって進んでいくようなベンチャー気質が失われてしまうことが1番恐れていることである。

ベンチャーの会社の中の人間の全ての気質が必ずしもそうでないことも学んできたもののそうした気質を大切にしなければかつて経験したことのある失敗の轍をまた踏んでしまうような気がしてならない。会社のこうした新生事業の創生なども含めて嬉々として取り組んでいるケイ佐藤ではあるが、いくつかの軋轢などものともしない強さの裏には互いに取り組んできた初芝通信の経験も含めたおおきな材料がそこにはある。私も、そうした取り組みの中にチップ/ソフト事業部門としての協力をしている。

チップビジネスにも、よりアプリケーションを睨んだ取り組みが望まれている時代に突入している。携帯電話の端末開発を纏め上げるプロジェクトリーダーの募集が就職情報誌を賑わしているが実際問題、そういう人材の不足とともに全く誰も考えも及ばない規模でのアプリケーションの纏め上げの苦労などが存在しているようだ。疲弊して会社を去るものもいれば、夢を持って転職して始めようとしているものもいる。Q社もチップソフト提供の立場から、もうすこし踏み込んだ取り組みをするべきであり今日のプレス発表をしたのだが、チップ事業の主体としては、中々インテルからマイクロソフトにはなっていくための取り組みは大変だ。

明日は、旧知の仲間からの声がけで横浜で一緒に食事をとろうかと考えている。そういえば、Techno-Wave忘年会も新年会も流れてしまっている。といっても急に声をかけても集まるものでもないし・・・・。ソフトウェア開発の現場の苦労について議論できればと思っている。まあ渋谷からの帰り道でも在るので、人数も増えるかもしれない。そんなメールを書いていると初芝通信からの問い合わせも来ていたので、集合場所が横浜駅なのかどうかは変わってしまうかも知れない。

VOL74 トップの走り方 発行2001/1/30

トップを走る会社は幾つもあるのだが、トップであればあるだけに要求されることも多いし、自ら不満に思う点も多いものである。NHKの深夜番組であるトップランナーという番組などは新進気鋭の若者などが取り上げられて衒いも無い彼らのトップ振りには羨むことがおおい。実力を高めるための路上ライブをしたひともいれば、日本代表のレフティもいた。みな努力を欠かさぬ人たちばかりだ。

トップであるには、取り組むべき課題も多いのだ。トップを行くメーカーは追い落とされることを厭うし、後塵を拝するメーカーはそれを実現すべく奔走して競争となるのである。安住せずにアグレッシッブな取り組みをしていなければ、トップからは落ちるだろうし、トップに上がっていくことも可能であろう。保守的な見方をし始めると先は暗くなる。

誰もが組み込みなどに高級言語を使わないと思っているころに組み込みでC言語を実用化したメーカーがある。このメーカーでは自社でコンパイラの開発をした。自社技術の一環としての必要な取り組みということだった。組み込み現場の評価を持ちつつのコンパイラの性能は高く評価された。自社チップでもないマイコンのコンパイラを開発した背景には、自社ソフトウェア技術をトップメーカーとしてのノウハウ結集としたいということもあったからもしれない。

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VOL73 愛よりも楽しい何か 発行2001/1/20

愛を取り巻く環境は世界に到達しようとしている。日本の茶道の奥義を駆使して野点で楽しむ新しいスタイルを確立したからだ。この新しい野点では、実際には大塚ベバレッジのJava TEAが使われている点が新しい。何処でも座り込むという最近の若手の心を野点で掴めるのかどうかは、野点での演目に大きく影響するだろう。

愛を説く宣教師達は、愛のスタイルとして野点での新茶道を急展開しようとしている。若者は愛を求めているのかどうかは別だが、愛あるものとの以心伝心が速いと言う特徴から愛を求めているようだ。ビジネスで野心をあおるもの達は、愛を肴に宴会や祭りが開かれることを想定してそうした会場への的屋としての参画を求めている。最新の技術で自宅からそうした祭りや宴会会場とをオンラインで接続できることが一つの売りでもあるからだ。料金回収も愛により容易であることも理由なのかも知れない。

愛の無い人たちは、JavaTEAではなく欧州のスタイルに嵌っていた。紅茶の嗜みである。文句の多い欧州を中心にしておけば間違いがないという考え方だったのかも知れない。北欧には愛の無い姿も一般的なものだったかも知れない。世界に通用するというものとしてうまく離陸したものは中々ない。技術的に優れているからといって通用しなかった技術は幾つもの事例をしっているからだ。

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VOL72 メーリングリストで元気な会社 発行2001/1/18

同窓の仲間から電子メールが届いた。賀状に書いておいたEmailのアドレスがあったからだ。聞けば、御母堂がなくなった由で欠礼するということだった。卒業してから25年経ちつつも届いた文面からは、声が聞こえてくるような気がしたのも不思議な気持ちであった。見知らぬ人との電子メールではないからかも知れない。但し、浮かんでくる顔は若者時代の顔でしかない。久しくあっていない。

最終担任の先生が、何かの賞を国から授かったそうで、そのお祝いも兼ねて同窓会をしようというのが今年は実現しそうだ。こうした連絡が電子メールで盛んに行われることになりそうだ。道具で永らく使ってきたUNIXは、いつしかネットワークや電子メールといったインフラ構築の道具になってしまった。私の手に馴染んだシェルコマンドは最近ではIT技術と呼ばれるようになった。

QUAD社では、あふれるほどに様々なメーリングリストで開発や議論が進められている。初芝通信などでいえば、これが横串活動とかなんとか委員会といった類のものである。フラットでない組織で運営する限り議論は出来ても、実践段階に移せないという問題がNewsシステムなどを雑談所などと呼ばれてしまう風潮がある。良い議論があれば仕事や組織が起きて展開していくあるいはそのまま疑問を確認に日本で試験をして測ってみようなどということはよく起こる。

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VOL71 チャレンジャーでありたい 発行2001/1/14

QUAD社での生活をしつつ世紀を越えたわけだが、自我の世紀を越えようとしている知己との出会いは幾つもあった。みな、現在の仕事を通じての自己実現に向けて悩んでいるようすだ。自己実現の場としてフィットするのは各自によって異なるのだろう。それは当然だ。小窓次郎の話を聞いたからといって短兵急に転職する必要などは、ない。エンジニアとは、何かに向けてチャレンジしていくのが良いのだと思う。これは私見である。押し付けるつもりも無い。

知己と話す中で、仕事として取り巻く環境で思い悩んでいる人が、意外に多いことは天真爛漫マイペースで会社生活を続けてきた私などには、ある意味で驚きでもあった。さぞや私の周辺の上司同僚の方々は大変な思いで私と仕事をしていたのかもしれないとも思う。そうしたマイペースな中で自分の信じる方向に向けて仕事として、取り組んできたことには自負もあるし、また私の財産でもある。いつの場合も元気に思い切り取り組んできた。

業界がどうあれ、自分が信じる技術があれば、それに突き進みたいという気持ちが素直な私の思いでもある。できればそうした思いを共有しつつ広げていくという仕事ができれば良いと思ったのが私の転職のきっかけでもあった。給料だけで仕事を決めにければならない人もいるのかも知れないが、仕事をしていく上で自分の生活を当てはめていけば幸せの尺度など共通のスケールはないと思う。

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