VOL50 似て非なる無線と携帯 発行2000/10/18

軒を貸したら母屋を取られる・・・・というわけではないが、無線通信の歴史ある無線業界と携帯の業界は乖離してきたように感じられる。かつては、無線といえば米国の某社であり、初芝通信などは、シカゴのそのメーカーを目指して追いつけ追いこせを進めてきたように思い返す。皆、ベースにあるのは自動車に取り付けた警察やタクシーの無線機であった。

無線機の最終ターゲットは一人に一台持たせることであった。どこでもだれとでも通信できるような時代を夢見てきていたのかもしれない。超再生のおもちゃのトランシーバーがあって、中学高校生はFMのアマチュア無線で遊び、海外通信などに短波のSSBやCWに耳を澄ましている時代だった。趣味の王様は、いつのまにか裸の王様になって身包みはがされてしまったようだ。

21世紀を目前にしてそうした目的は達成できてしまった。世界中どこでも通信できるという衛星通信のシステムも構築されたが、シャットダウンしてしまった。定期便の飛行機のように月までいけるはずのパンナムのロケットは、パンナム自体がなくなり、まだ毎回のロケットの打ち上げ直前に部品不良などのトラブルにおびえている。安心して飛行機の整備にゆだねるというところまでは到達していない。

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VOL49 忙中閑有 東奔西走 発行2000/10/13

青山の事務所での生活がスタートして二週間となった。新チップサポート開始の準備で、例年忙しくなる時期でもある。月末に予定しているソフトウェアのトレーニングを皮切りに、どっとQ&Aも増えてくる時期となるのである。三菱や日立といった汎用のマイコンの新シリーズなどの説明会というよりも、そのシーズンに必要な機能を網羅した旬のマイコンである。

携帯の機能競争の片棒をいっきに担いでいるともいえるかもしれない。CDMAの見識に基づいて設計されたチップが集約化されて、より大規模になり無線用CDMAモデムとしてはロックウェルの状態になってきたともいえる。ロックウェルと異なるのは伝送速度を改善していくというスタンスがキャリアを含めて考えなければ達成できない点がある。

世の中は、IMT2000に流れていくといった甘い予測に踊らされる人々やギリギリまでEDGEを見極めている人々などもいて夢とビジネスとをはっきりしている会社もあるようだ。夢に付き合わなければならない立場もあり、ある程度の答えや未来への予測も踏まえていくつもの策をうっていくのは会社としては必要なことであろう。

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VOL48 後悔先に立たず 発行2000/10/10

引越しで運用パソコンが一台立ち上がらなくなってしまった。スキャナとかCD-Rなどの雑事に使う共用マシンとして安いDOS/Vマシンを同僚が見つけて購入していた物だった。まだ購入して一年も経たないのだが、電源SWが壊れたのか、あるいは追加したHDDのラッシュ電流で電源自体が壊れたのか、いろいろ調べたが電源ファンが回らないこともあって、まずは電源のみを交換しようということにした。さしあたって運用していた業務の移行や、HDDの必要なものの複写が必要だった。同じブースに置いてあるデバッグ用のNTマシンに移管することにした。

先日、ノートパソコンの換装を実施したときに購入したUSB接続でのIDE-HDDケースというものが一台浮いていたのでこれを利用して今後、こうしたマシンリカバリーのベース環境を共通マシンで構築しておくことはよいだろうと考えたのだが、デバッグ用のNTマシンには、USBはあるものの、NT4.0ではUSBは認識されていないのだった。まず、このマシンをWINDOWS2000に移行させることが必要だった。デバッグ環境として必要なソフトの稼動にはWINDOWS2000で困ることはなかった。マシンにアップデートCD-ROMを設定して開始したところ、OSの更新に午前中を費やした。

WINDOWS2000への更新が完了した。外付けのHDDケースに問題のハードディスクを接続したところうまく認識をしない。違うデバイスのように振舞う。必要なデバイスドライバが古かったのかとネットから探索するがどうもしっくりしない。この組み合わせは同様なものがあってうまくいっていたので余計に悩んだ。しばらく思いを巡らしてIDEのドライブ設定を確認してみた。スレーブ設定になっていたのだ。マスター設定しかサポートしないのだろうと当りをつけて設定したところ無事動作した。これでバックアップが出来た。

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VOL47 災害とインフラ 発行2000/10/06

あるお客様が利用している部品を用いたさいの挙動に課題が出ているという連絡があり、この部品を担当営業がお客様から早速、預かってきた。弊社の評価テストボードにつないで、この部品の性能の影響を考えてほしいというのがお客様の要望である。他の部品に変えると問題がなくなるのだが、既に出荷間際であり、ソフトのみでの対応しかできないという日本らしい要求なのであった。

0.65ピッチの部品を預かり、週末に渡米する同僚に預けることに会社に行く途中からの国際電話で対応について議論した。当初部品へのプログラミングを必要するかと考えていたのだがデフォルトで信号が発生するということがわかり、部品と必要なパーツを持ち込むことに方針を決めた。部品が小型なのと特殊ピッチなこともあり、変換基板を秋葉原で購入していくことにした。

青山のオフィスに秋葉原経由でいくのはそれほど遠回りではない。銀座線の末広町から一本で青山1丁目には通じるからだ。細かいパーツをすべて常設しているサンディエゴのオフィスとは異なり、日本では必要な部品は、電気街やらPCショップで求めている。あるいはお客様から分けて頂くこともおおい。今週ある量販店が倒産した秋葉原ではあるが、その雰囲気は少し人出に映っているような感じがした。

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VOL46 展示会へ足を伸ばして 発行2000/10/3

二十世紀を締めくくろうとする展示会で見せてもらえる二十一世紀への布石については大変期待もしている。かつて子供の頃に考えていたほどには、技術は進歩しなかったようにも思えるし進歩した割にはだらしない政治体制などについてもがっかりもする。教育問題について、子供の頃には、やいのやいの言っていた割に結果として出来てきた世界は非常に教育結果に根ざした歪んだ価値観の世界になってしまった。ストに明け暮れる感じのあった昔の先生方が1番育成しなかったのは、実は次代の先生ではなかったのか。

いくら技術を発達させてみても、使う側のレベルが低ければだらしない限りである。そうした部分は世紀末と評せられる日本のいやな面である。何のために勉強するのかという根源的な問いかけに答えずに良い高校良い大学良い会社・・・と明け暮れてきた子供たちは、やんだままに無邪気な子供を監禁したり、日常的な危険性も顧みずに施工や作業をさせたりしている。マニュアル世代を逆手にとって怪しげな宗教を始めてしまえば、もろくも精神世界が崩壊してしまう現実も見てきた。

技術開発に加担する中で、取り組んできた数々の仕事についてそうしたメジャーで計ってみると必ずしも自分自身の現在の価値観から外れている仕事もあったように思い返している。自分自身の価値観自体がエゴイズムなのかも知れないのだが青臭いといわれるかも知れない部分を持ちつつ仕事をしてきた。やはり仕事は自己追求の場であった(私にとっては)。多くの人との出会いの中で学び考え議論をして切磋琢磨する共通の目標や意識付けが仕事であったのだ。

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VOL45 衣替え 発行2000/10/02

十月に入り、衣替えの季節となった。弊社では、オフィスの移転も重なり、今日から青山のビルでの生活になった。セキュリティやネットワーク、電話などのインフラが刷新されたために午前中は開梱やら電話機の説明会などでつぶれてしまった。人員の拡張に備えて広い会議室や実験室といったスペースなども用意された。まだ機材の手配搬入はこれからせのところもあるが確保すべき人材のためのブースは用意が出来た。INS1500の回線がこの規模の会社で引かれているのは異様なのかもしれない。少なくとも回線不足になることはなさそうだ。

まだ、ブラインドの工事は出来ていないのでカーテン越しに対応するツインのビルが見える。赤坂御所に隣接するロケーションの眺望は良く、机からは迎賓館が望める。昼食時には、周囲の探索をしてみたが、ビル内のレストランや、おしゃれな町並みに見合った高いランチメニューが周りを取り巻いている。絵画館の通りまでいき北青山アパートの一角の中華料理屋まで足を伸ばした。ここいらでは安い定食にありつけた。北青山アパートも高層住宅に刷新されていて私の記憶のタイムマシンの風景からは時代考証が出来ずにいた。

ネクタイをしめたりしないアメリカンスタイルでいる我々の仲間は青山の風景からは浮いている印象がある。少なくとも赤坂での風景とは異なり、スーツ族が周囲を席捲している。もうワンブロック進めば品川の会社のプレステ開発の部隊がいる地域になるのだが、まだ青山一丁目では伊藤忠やホンダといった堅い会社が多いようだ。ソフトな雰囲気の弊社のような会社はいないようだ。やはりエンジニアには、都心ではなく、もっと開けた風景での環境が良いと思うのだが、エンジニアのみを、移すほどの体制ではない。

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VOL44 ラッシュの中で・・・ 発行2000/09/28

最近の恋人同士の連絡は、電話ではなくて携帯メールに変わったらしい。携帯メール日常化は凄まじく、こうして東急東横線のボックスに座っていると三人は携帯メールをアクセスしている。一人は昔ながらのラップトップノートを膝小僧で叩いている。時代の取り残されている感が否めない。モバイルパソコンという時代に向かってひた走ったメーカーがあった。ある意味でニッチ市場を狙い玄人筋を押さえつつ評判を上げて販売増に向かいたいという姿が既に時代錯誤なのかも知れない。そうした姿で振り回される人たちが大勢を占めてはいないのである。業務で使い込んでいくという観点からすれば、そういう会社の製品がよいのかも・・・しれない。

12Gのハードディスクを搭載して128MBのメモリーを搭載して山ほどのソースを検証するようなことをモバイル状態でするはずもないので手のひらでのオシャブリにも似た携帯電話は良いおもちゃなのであろう。軽薄短小を目指してきた流れから、やはりスタイルと使いやすさに価値観自体が移ってきている。軽いだけの機能が何もない電話機のユーザーもいない事はない。しかし、限られた人種である。かつてHPの電卓が限られた人種が使っていたのとカシオやシャープのそれとを比べるまでもないが、数が出るかどうかがメーカーにとっての生産貢献というファクタで大きくものをいうはずである。

モバイルな中で書き物をしていくには、電池のみで長時間つかえて専用ワープロがもっともフィットする。いくつかのPIM的な道具も含めてタイピングしやすかったF通のポケットPCは便利な道具であった。これが変遷してモバイルギアに移行したのだが、これも正解だった。軽量なDOSで十二分な機能が提供されていた。だんだんパソコンと同様に大げさになってきたのは、例によってWINDOWS的な色づけが濃くなってきたことによる。DOSポケットの究極はHPの100LXや200LXだと思うがタッチタイピングなどでこうしたものの幻想を抱いて導入したHPのCEマシンには幻滅を感じている。それでも乗せられて買ってしまった自分を恥じている。最近は持ち歩かなくなってしまった。何度となくシステムクラッシュを続けるとWINDOWSCEのみならず、系列のNTや2000なども使っていくのがいやになってしまう。

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VOL43 おもちゃとの戦い 発行2000/9/27

日曜の朝、AOLにアクセスしていると知り合いがログインしているのに気が付いてIMでチャットを始めた。某ベンチャーの社長さんである。無線通信ユニットなどの開発を最近は手がけているということでQuad社との接点などもありそうなものであるが、まだ互いのビジネスモデルがすりあわないというのが実情である。さて、そんな社長さんとももう長い付き合いになる。Cコンパイラの開発に伴い周辺機器の開発に着手したころの当時の初芝通信の某事業部は、さながらベンチャーのような勢いがあった。そんな中で、この社長さんと出会い、この会社を通じてOEMという商売にうっていこうとしたのである。

当時は、出来たばかりの端末にソフトウェアをダウンロードするのに適当なパソコンがない時代であり社長さんが米国の見本市にもっていくときに現地でダウンロードをしてデモをしたいというのが要請でもあった。PC8021というラップトップベーシックのパソコンを用いてソフトデータをダウンロードするように週末を使ってソフトを書き上げた記憶がある。幸い無事に現地でも動作したようだった。この社長さんは開発したこのCコンパイラを気に入ってくれてワークステーションを購入して開発環境のなかにインストールして欲しいといわれて応えてあげた。自作の心が共有できる世代の「かつて無線少年だった」時代を共有している世代なのだった。

さて、社長さんと話をしてみると社長さんの業界もビジネスモデルの刷新がありそうで起爆剤は、やはりI-MODEだそうである。ニッチ市場とおぼしき所謂プロ用の機器も「i-mode向け」のおもちゃの船団により価格破壊が起こりそうなのである。修理をしない、ソフトを個別に搭載しないネットワークモデルでのビジネスというゲームの図式に呑まれそうな勢いらしい。特殊なインタフェースであったとしてもね圧倒的なパソコンを凌駕する台数のi-MODEに接続する周辺機器は価格で10ドル程度が目標らしい。バンダイとかニンテンドーの世界なのだ。

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VOL42 ゆうこ 2000/09/26発行

村下孝蔵の歌の話ではないが、私の知り合いには五人のエンジニアのゆうこさんがいる。事務職のかたもいれればもっと増えるだろうが、そうじて技術者の名前のように感じている。組み込みソフト開発に女性が進出してから二十年くらい経つのだろうか。私の知るゆうこさんたちは、みなソフト技術者の方達だ。

この中の二人のゆうこさんにチームを組んでもらい組み込みようの軽いRTOSを開発したことがあった。いまでいうuITRONのようなものだ。ユニバーサルでコンパクトなOSとしてUCOSという名前にした。この名前に決めたのは開発メンバーの貢献があったからでもある。ふたりのゆうこさんは、結婚もされ、お子さんにも恵まれているが仕事も続けておられ後輩の育成もあわせて行われている。

このゆうこさんの一人は入社当時の自分が受けた開発を通じての教育を今自分自身で見直して改革して取り組まれているようだ。彼女は、組み込みの世界でおそらく世界でもはじめてCからはじめた女性技術者なのではないだろうか。このゆうこさんは、この開発プロジェクトの総括を本社までいって壇上で報告されてもいる。たくましい限りだ。大学首席卒業もうなづける聡明で明るい頼れるお姉さんになっている。

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VOL41 新しいオフィスへ 発行00/09/25

Quad社にジョイントして赤坂でのオフィス生活も一年を経過した。赤坂の一ツ木通りなど周囲は至便な環境である。食費を気にする向きには、リンガーハットもあるし、エスニック好きでも洋菓子好きでもいろいろな店が軒を連ねている。先日、赤坂ブリ ッツでのボニーピンクのコンサートなどは非常に身近で終わったあとには嫁さんと会社近くの行きつけのエスニック料理を楽しんだ。郵便局も銀行も近くにあり非常にコンビニエンスな環境であった。

Quad社の日本オフィスは急進する日本の状況に合わせて地道に広げてきた経緯から小さな雑居ビルのフロアを徐々に広げていくという戦略で進められてきた。当初6,7Fのみであったが私がジョイントするころには4Fも借り受けて3フロアという構成になった。家庭的なアットホームな環境も増えてくる人員や行き来する社内外の人間の会議スペースなどから拡張を求められてきた。今年はじめのCDMA2000事件を契機に拡張を決定付けることになり、近くの青山一丁目のビルを借り受けることになった。

サポートと営業の間に誤解が・・・いや五階が挟まるという体制ではなくなるので、いろいろなことがスムーズに運ぶようになるはずである。赤坂御所を望む18Fのビルの 眺望には期待をしているものの、赤坂界隈のローカルなお弁当屋さんの便利などにも捨てがたいものがあり、期待半分、残念半分といった気持ちである。チップサポートをしていくという目的に必要な実験室などの設備も今回の移転の中で準備を進めている。サンディエゴなみとまでは行かなくても必要十分な環境には近づくと期待している。まぁこうした環境で若干不便になるのは空調制御がビル全体に移ることになり延 長申請などの手間が増えることがあるのだが、遅くなることの心配をするよりもスムーズに解決できるように考えるべきである。

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